夢枕獏『地平線物語』(双葉社 1993)を読む。
グアムやサイパン、モーリシャスに始まり、モンゴル、チベット、アンデス山脈、ニュージーランド、サハリンなど、辺境の地でカヌーやダイビングを楽しみ、釣りに狂う日々が綴られている。著者は執筆当時39歳。家もあり家族もいる中で、旅をする、旅をしなくてはならない日本でのせせこましい生活と決別することの意義を解く。
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『純物語』
福澤英敏『純物語』(近代文藝社 1992)を半分ほど読む。
著者は第71回芥川賞候補に輝いた作家である。出版社からして自費出版であろうか。自分の育児に関するエッセーであり、個人的な体験ばかりであまり面白くなかった。
『頑固親父は受験トレーナー』
北村英明『頑固親父は受験トレーナー』(鎌倉書房 1990)を読む。
著者は1946年生まれの団塊世代で、受験競争の激しかった団塊ジュニア世代ど真ん中の息子を持つ父親でもある。その著者が息子の高校受験にどっぷりとハマり、内申点をあげるために計画を作り、参考書を駆使して地元で1番の高校に受かる戦略を練る。
ちょうど息子は私とほぼ同級生である。当時の高校受験の難しさと、中学校の学習内容の多さに改めて驚きを感じた。私立か公立か、私立希望の併願か、公立希望の併願か、その当時から中学浪人する人はいなかったが、内申重視の配点やア・テストの是非を含めて、高校受験の面倒くささが印象に残った。
『おとなになる旅』
澤地久枝『おとなになる旅』(ポプラ社 1981)を読む。
著者の澤地さんは1930年生まれなので、51歳の時の著書である。かつての満州、中国の吉林省で過ごした子ども時代の思い出が綴られている。中国東北地方の田舎で、裸で過ごした小学校時代のエピソードや戦争が激しくなってきて学校から先生が召集されていく場面などが描かれる。
わたしは今までに、自分の難民生活について、あるいは引き揚げ体験について、ほとんど書いたり語ったりしていません。それはおとなたち、あるいはわたしたちの世代の人たちをふくめて、おおくの人たちの引き揚げ話が、みんな被害者意識で書かれていることへのやりきれなさからです。ほとんどが、ひどい目にあいました、ずいぶんつらい生活をしました、財産もなにもみんななくして帰ってきました、という視点で書かれていたからです。
でも、なぜリュックサックひとつになって帰ってきたのか。なぜ命からがらにげなければならない非難行があったのか。難民生活があったのか。その原点をさぐってゆけば、日本がよその国へせめていって、そこでその土地の主人のような顔をして暮らしていたことの結果なんですね。わたしは子どもで、そのことの直接の責任はおえません。しかし、侵略し支配した側にいた子どもであったということを、忘れることはできない。難民生活も引き揚げも、少女期にはいっていたわたしにとって、かなり試練であったとしても、わたしは被害者という気持だけではそのことは語りたくないの。
『やってみよ!国際ボランティア』
長谷川まり子『やってみよ!国際ボランティア』(双葉社 2001)をパラパラと読む。
著者は1965年生まれの女性で、30代でネパール農村部の女性のためのボランティア団体「ラリグラス・ジャパン」と出会い、後に代表となって人身売買被害者支援の活動を行うようになった”活動家”である。
前半は著者自身の活動や様々な国際ボランティアで活動している若者を取り上げ、後半はピースウインズジャパンや国境なき医師団、ハンガーフリーワールドなどが紹介されている。20年以上も前からミャンマーからバングラデシュに流入すロヒンギャを支援するブリッジ・エーシア・ジャパンというNGOがあったのは知らなかった。何事もとりあえず始めて、工夫しながら継続していくことが大切であると実感した。