読書」カテゴリーアーカイブ

『埼玉ルール』

都会生活研究プロジェクト[埼玉チーム]『埼玉ルール:埼玉ゆったりライフを楽しむための49のルール』(中経出版 2013)を読む。
映画『SR サイタマノラッパー』の脚本・監督を務めた入江悠監督が作中で「サイタマは今も昔も変わらずに、都会と田舎の汽水域をふらふらと漂っている―」と表現したように、都会とも田舎ともつかない中途半端な県であると同時に、都会と田舎のクロスオーバーを楽しむことのできる贅沢な県である。

埼玉に移り住んでちょうど20年になるが、”ファッションセンターしまむら”や”ヤオコー”が比企郡小川町が発祥だったことや、”るーぱん”や”馬車道”が熊谷生まれだということも初めて知った。実は、埼玉県は小麦の生産量で全国6位を誇り、「朝まんじゅうに昼うどん」という言葉も残っているほどの「うどん県」なのである。

私も今年で埼玉に移り住んで20年になるが、県内で仕事もレジャーもすべて事足りてしまうので、埼玉県から出る機会もぐっと減ってしまった。河川面積日本一や土砂災害発生件数日本最下位など、埼玉ならではの魅力の発信も今後ますます期待できそうだ。

『日本農業のゆくえ』

梶井功『日本農業のゆくえ』(岩波ジュニア新書 1994)をパラパラと読む。
高校生向けのジュニア新書であるが、著者は農業経済学を専門とし、東京農工大学の学長まで務めた人物である。農業そのものよりも、農業政策を巡ってグラフを用いつつ経済学の観点からの解説や、農業を巡る社会のコンセンサスにまで話が及び、およそ一般的な高校生が理解できる内容とは思えない。「農業経済とは?」とか「農業経済の基本」というタイトルのほうが良かったのではないか。

『姫島殺人事件』

内田康夫『姫島殺人事件』(新潮文庫 2003)を読む。
1996年に刊行された本の文庫化である。大分県・国東半島の沖合5キロほどに浮かぶ小さな島を舞台にした殺人事件である。姫島は、人口2000人ほどの小さな村で、2年程前、60数年ぶりに村長選が実施されたということで話題になった記憶がある。姫島だけでなく、国東半島周辺の耶馬渓や陸上自衛隊の日出生台演習場なども話に絡んできて、旅情ミステリーたっぷりである。

『日本は「侵略国家」ではない』

渡部昇一・田母神俊雄『日本は「侵略国家」ではない』(海竜社 2008)を読む。
10年前のものであるが、話題を振りまいた本である。元航空幕僚長の田母神氏は、張作霖爆殺事件はコミンテルンの仕業であり、コミンテルンに操られた蒋介石によって泥沼化した日中戦争に引きずり込まれ、果てはコミンテルンに動かされたアメリカによって自虐的な東京裁判史観を植え付けられたと主張する。

この陰謀論に凝り固まった鼻くそレベルの論文を巡って起こったマスコミの反応や識者の異論について、昨年亡くなられた渡辺昇一氏が高所から物申すという内容になっている。批判を煽るような極論を吐いて、それに対する反論を揶揄するという手法は、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」を思い返させる。

本日の東京新聞朝刊のコラムで、シンガーソングライターの泉谷しげる氏は次のように述べる。

 例の「LGBTは生産性がない」っていう暴言は、炎上狙いみたいなところもあって、どうやって関心を持たせるかって考えたのかな。過激なことを書いた方が読まれるだろうと。「私すごいこと言うでしょ」って、自己顕示に近いんじゃないかな。彼女は半分ぐらいの人は賛成してくれると思ったかもしれない。でも計算違いだった。それでも自分は絶対に正しいと思うなら反論しないと。隠れちゃうんだもんな。無責任だよ。
彼女の言っていることは精神的な虐殺ですよ。用のないやつを切り捨てよう、排除しようという思想につながるから。それは社会的に不都合な感情なんだと気付かないと行けない。もしかしたら人間には、心のどこかにLGBTとか障害者に対する差別意識があるかもしれない。だけど、それを乗り越えていくのが人間の知恵であり、知力だよな。生理的な本音のままじゃ駄目なんですよ。

田母神氏も泉谷氏の指摘する自己顕示にハマっているのであろうか。むしろ、田母神氏を利用しながら、国民の無知蒙昧を喧伝する渡辺氏の方が質(たち)が悪い。

『世界遺産の歩き方』

グローバル倶楽部『世界遺産の歩き方:謎と不思議を巡る冒険』(KKベストセラーズ 2001)をパラパラと眺める。
参考文献の再構成で、写真も少なくあまり気乗りしなかった。