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『内灘夫人』

五木寛之『内灘夫人』(新潮文庫 1972)を30年ぶりに読み返す。
確か高校時代に買った本で,高校卒業後10回近い引っ越しを経ても,ずっと手元に置いてあった本である。
1968年から69年にかけて東京新聞に連載されたもので,内灘闘争やメーデー事件など1950年代前半の学生運動で夢破れ,高度経済成長の10数年を生きてきた夫婦の思想のすれ違いがモチーフとなっている。夫の沢木良平は会社を経営し,学生運動と訣別をしながらも,時代や世代の違いに戸惑いを隠せない。妻の沢木霧子は学生の持つ直向きさを忘れることの罪に悩まされ続ける。最後に霧子が再び金沢・内灘で一人のプロレタリアートとして力強く生きていこうとする場面で物語は終了する。

こんな本を高校時代に愛読していたのだと,自分自身が高校・大学時代からの距離感,いや隔絶感に捕らわれた。子どもたちが全員大人になる10数年後にもう一度読み返してみたい本である。
そう言えば,そろそろ本棚に鎮座している『青春の門』も読み返さなくては。

『共産党宣言』

マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(大月書店 1983)をさらっと読む。
もちろん1948年にドイツ語版で刊行されたカール・マルクスの代表作である。
確か高校生か浪人生の頃に読んだのであろうか。当時は世界史の参考文献として手にとったのであろうか,世界史という複雑なジグソーパズルの一コマを埋めたような快感があったことを覚えている。

世界はブルジョワジーとプロレタリアートの2つの階級に二分されていき,その対立関係が矛盾を生じ,やがてその矛盾がどうしようもなくなったとき,何も持っていない万国のプロレタリアートは団結し,社会秩序全体を転覆させろというのが趣旨である。その中には,累進税の強化や都市と農村の対立の解消,児童の工場労働の撤廃など,今もって世界で実現されていない問題を提示している。

古くて新しい共産主義運動(思想)をどういう観点で理解していくのか,やはり今後とも万人に問われるべき課題である。

『ゴーゴー・アフリカ』

蔵前仁一『ゴーゴー・アフリカ』(凱風社 1993)を何日かかけてパラパラと読む。
上下巻構成で,行き当りばったりなアフリカ個人夫婦旅行記である。鉄道やバスを乗り継ぎながら,サハラ砂漠を横断したり,治安の悪い地域を辿ったり,旅行記というよりも冒険譚仕立てとなっている。
80年代に流行った「別冊宝島」と同じ大きさと体裁で,個人旅行のくせに脚注やコラムなどやたら情報量が多い。単純に楽しめる旅行記なのかと思いきや,現地の文化や社会情勢に関する内容があまりに多くて消化不良となってしまった。

『自転車のフィッティングがわかる本』

絹代+自転車生活編集部『自転車のフィッティングがわかる本』(枻出版 2008)を読む。
女性の初心者向けの本で,クロスバイクのフレームサイズを測定や,サドルやコラムの調整などを写真入りで説明している。おそらくは雑誌「バイシクルクラブ」の特集記事がまとめられた単行本で,スポンサー提供のウェアやヘルメットなどがふんだんに紹介されている。
タレントとしても活躍されている絹代さんは東大農学部出身だと初めて知った。