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「このまま終わっていいのか」

あけましておめでとうございます。寒い日が続きますが、皆様のご健康をお祈り申し上げます。

 本日の東京新聞朝刊に元東大全共闘のメンバーで弁護士の秋山洋氏の談話が載っていた。私自身の今年一年の目標はまだ定まっていないが、「このまま終わっていいのか」という秋山氏の言葉を胸に刻んでいきたい。

 僕らの世代はベトナム反戦が共通項だった。ベトナムで毎日、人が死ぬ。もっと平和な時代に生きたい。黙っている自分が嫌だ、というイライラが常にあった。大学紛争が敗北し、次の世代はしらけた。でも、いまのイラクだってベトナムと同じ。お前はどうするんだと考えさせられる。自衛隊派遣はおかしい。昔だったら、大学にバリケードができるんじゃないか。
 ヒッピーのように既成の価値観にしばられない視点が好きだった。うさんくさい自己否定でなく、僕は自己肯定派。学生運動でも異端と見られた。ただ、僕らに一番欠けているのは人生の目標。同世代の中には「このまま終わっていいのか」という声がある。僕もそうかなと。おもしろい時代を生きてきた、得したなと思うからこそ。

本日の東京新聞の夕刊

 本日の東京新聞の夕刊に、パウエル米国務長官が外交専門誌「フォーリン・ポリシー」に、ブッシュ政権を取り巻く状況分析に関する論文を寄稿したとの話が載っていた。
 パウエル国務長官は来年早々にも退任予定だが、長官は「テロを起こした者たちを裁き(justice)にかけるだけでなく、人々に公正(justice)をもたらしたい」とし、途上国の飢餓問題やエイズなど感染症への対策、人々の生活の基盤をなすと同時に観光資源にもなる貴重な自然の保護も訴えたそうだ。そして貧困解決を図るためには、腐敗した独裁的な政権にも改革を迫っていく必要も強調したということだ。彼の主張は、イラクの市民の生活基盤を目茶苦茶にし、自然を破壊し、アメリカ傀儡の軍事政権を作ろうとするブッシュ政権に対する批判となる。パウエル氏の指摘する真っ当な平和への道筋がブッシュ政権で浮いてしまうということは、逆にラムズフェルド国防長官を中心とした政権内タカ派の異様さが照射されてくる。

「角川短歌賞」

 本日の東京新聞夕刊に「角川短歌賞」に関する記事が載っていた。第50回という節目に際して17歳の高校生小島なおさんが受賞したというのだ。角川短歌賞というと、ついつい俵万智を思い浮かべてしまうが、いたずらな技巧に走らずに素朴な感性を素直に伸ばしてほしいものだ。

中間試験の 自習時間の 窓の外 流れる雲あり 流れぬ雲あり
エタノールの 化学式書く 先生の 白衣にとどく 青葉のかげり
なんとなく 早足で過ぐ 陽差し濃く溜れる 男子更衣室の前

埼玉新聞より

本日の埼玉新聞に県内の障害者の就職状況に関する記事が載っていた。障害者雇用促進法では従業員のうちの障害者の割合を1.8%以上にすることを企業に義務づけているが、埼玉県内の企業では1.38%にとどまっており全国ワースト2位だということだ。そのため県内のハローワークを通して障害者6604人が求職中であるが、実際に就職出来るのは7人に一人の狭き門になっている。埼玉県では「彩の国障害者プラン21」なるものを掲げ、「ノーマライゼーション推進県」を標榜するが、そういったアドバルーン的な施策方針が見事に失敗に終わっている数字である。

「9・11後の世界:あの日は何だったのか」

本日の東京新聞の夕刊に西谷修氏の「9・11後の世界:あの日は何だったのか」と題したコラムが載っていた。
その中で、西谷氏は「平和」と「安全」の違いを指摘する。国と国との「戦争」はいずれ終結することで「平和」がやってくる。しかし、「テロ」集団との戦いは相手が見えず、不断に「安全」を確保するために軍事行動を続けなくてはならなくなると述べる。イラク戦争で問われているのは暫定政府への平穏な政権委譲によってもたらされる「平和」の定義ではなく、文明社会を遮二無二守ろうとする米国の際限ない「安全」の定義である。

「テロと戦争」の発動以来、「平和」という観念は追放された。代わって「安全」が戦争の旗印になる。「米国の安全のために、米軍は国外で戦い続ける」、二期目の出馬に際してブッシュはそう強調した。そしてこの戦争は、「文明世界」に属するあらゆる国々が参加すべき戦いだとも言う。豊かさのなかで「安全」に生きるためには、終わりのない戦争を続けねばならないというのだろうか。豊かさと繁栄は「平和」とともにあるのではなく、戦争によって確保される「安全」のもとにしかないと。