新聞」カテゴリーアーカイブ

今日の東京新聞

昨日の小泉総理の靖国参拝について、今日の東京新聞に識者のコメントが寄せられていた。その中で、東大大学院教授姜尚中と並んで新右翼団体「一水会」顧問で評論家の鈴木邦男氏のコメントが興味深かった。鈴木氏ならではのひねくれた視点からのストレートな意見が大変分かりやすい。確かに「英霊」の立場に立てば、参拝されることで日本が孤立化していくのは強烈な皮肉でしかないだろう。

靖国神社は「靖国の英霊たちはアジアが西欧列強に脅かされる中で、アジアの平和のために戦った」と説明しているが、それを前提にすれば、英霊たちの願いはアジアの平和であるはずだ。ところが、小泉首相の参拝が原因で、中国、韓国など近隣諸国との関係がきな臭くなっている。英霊たちが最も恐れているのは、靖国神社が戦争に向う時の理論的武器になることではないか。明治の政治家なら参拝を一、二回やめても、その間に訪問し、説得や交渉をできる政治力があった。今は交渉したり、譲り合ったり、手を探すということがまったくなく、国民から「毅然としている」「戦っている」という評価を得たいだけになっている気がする。

□ 鈴木邦男をぶっとばせ! オフィシャルウェブサイト □

本日の東京新聞の朝刊

本日の東京新聞の朝刊に反骨のジャーナリストむのたけじさんと作家で元新右翼メンバーの肩書きを持つ雨宮処凛さんの戦争の反省についての対談が特集されていた。雨宮さんは自身の右翼活動や自傷行為を引き合いにして現代の愛国心について次のように語る。昨今の愛国ブームを分かりやすく分析している。

戦時中の愛国って、家族とか古里の果てに国家があったと思うんですけど、今の若者の愛国は違う。家族にも、古里にも、学校にも、会社にも身の置き所がないから、愛国に行くという構図があるんじゃないかと思うんです。私もそうでした。本当に愛せるものがないから、自分を肯定するために、愛国にすがりたいという切実な思いがあったと思うんです。

そうしたフワフワした不安に臆病になっている日本人が知らず知らず残虐な戦争へと流れていってしまった事実を踏まえ、ものたけじさんは次のように語る。少々長いが引用してみたい。結局戦争は軍部が始めるものであり、そうした軍部の暴走に流されないだけの自分を築き、時代の危険な流れを素早く予期し、緻密に分析し、そして大胆に行動することが大切だと述べる。

□ 雨宮処凛 公式ホームページ □

結論は一人一人が自分を大事にすることです。人間は一人ずつ生まれてきますから。一人一人が自分の歴史をつくっていくことだ。自分の問題は自分で解決するということです。
戦争体験の継承は、戦争を経験した連中だって、まともに継承できていない。これは裏返せば、戦争を経験したから分かる、しないから分からないということじゃないの。戦争が人類にとって重大な問題だと思ったら、若い人は自分で勉強すればいい。そのとき大事なのはなぜ戦争が起きるのか、誰が戦争をしようとするのか、その原因を明確につかむこと。その原因と闘うことだ。若い人がこだわりなく資料を駆使して戦争を探求すれば理解できると思います。
私が一番憎むのは惰性なのよ、今。惰性に流されたらいけない。過ちを犯すよりいけない。やっぱり日本は今、惰性でしょう。なんかね、一番悪いわ。
悪くてもいいから身もだえしてね、何かを試したりね、道を求めるならまだ救いがあるよ。しくじれば反省するもの。今はしくじりようもない。お利口さんになっちゃってね。八つ裂きにでもされるようなバカが出てこないとダメなのよ。

戦争を許すような空気を食い止めるために大切なのは、やはり日常だな。人間と人間との関係、コミュニケーションが日ごろからうまくいっていないと、いつの間にか、見ざる、聞かざる、言わざるになってしまう。それは急にはできない。普段やっていないことは非常時体制ではなおさらできないの。今が大事なの。

芸術とは何か

本日の東京新聞夕刊の特集「土曜訪問」に日本画家の千住博さんのインタビューが掲載されていた。
千住博氏は弟に作曲家の千住明さん、妹にヴァイオリストの千住真理子と「芸術家三兄弟」の長男にあたる人で、幼い頃から幅広く芸術について考えてきた人である。
彼は、芸術について次のように述べる。芸術とは何かと煎じ詰めていったら永遠に話は尽きないが、一言でまとめると彼の発言のようになるのだろう。

芸術はイマジネーションのコミュニケーション。話の通じない相手になんとか伝えようとし、相手の身になって想像し考えることが、芸術の出発点であり到達点。現代にこの芸術力をよみがえらせたい。

民間校長

 本日の東京新聞に民間企業から埼玉県の飯能市立双柳小学校長に着任した中村恵太朗校長が紹介されていた。
 日産ディーゼル工業において経理や人事畑で30年間勤務した後、「小学生のときに親や教師から教えられたことは忘れない。いいかかわり合いをつくる手助けをしたい」と教育界に飛び込んだということだ。彼は「管理職がすべきことは、会社でも学校でも、そう変わらない。ビジョンを示して現場の声に耳を傾け、課題を共有して環境を整え、個人を目標に向わせる。それが基本」「どちらがいい、悪いじゃなく、会社と学校のギャップを指し示し、先生や子どもの能力を引き出すエネルギーに変えていきたい」と語る。今どきの管理職には珍しく至極真っ当な見解である。
 「非常識」な考えを持った教員集団の中で、企業の「常識」が通用するのかどうか、大変に苦労されていると思うが、子どもから一番離れている(離れたがっている)管理職集団に気持ちの良い風穴を空けてほしいものだ。

終身刑制度の創設に向けて

本日の東京新聞夕刊に、終身刑の創設を求めてバイクで全国を行脚して署名を集めているイタリア出身のストッキ・アルベルトさんの記事が紹介されていた。ストッキさんは、七度目の出所後も放火を繰り返した元会社員によって、妻と子どもを子どもを失い、自身も火傷を負っている。そして犯人は昨年六月に求刑通り無期懲役が言い渡され一審で刑が確定した。しかし、ステッキさんは、「無期懲役だったので被告は六十歳になる前に仮出獄する。仮出所のない終身刑制度の創設は、悪質な再犯者から社会を守るために必要です」と静かに語る。

ストッキさんは死刑制度を必ずしも全面的に支持しているわけではないということだが、「妻や娘の死を無駄にはしたくない。必ず終身刑の法律をつくります。たとえホームレスになってもあきらめません」と述べる。

署名への問い合わせは電子メール mailto:minervai@rhythm.ocn.ne.jp