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「『普天間基地移設』という〈罠〉」

本日の東京新聞夕刊に、国際基督教大学准教授の田中康博氏の「『普天間基地移設』という〈罠〉」と題したコラムが掲載されていた。
一段落一段落が、ゴリゴリの反戦市民運動団体のような内容で、身につまされるような思いを禁じ得なかった。その一部を引用してみたい。

戦後日本の風景を根底のところで規定してきた日米安保体制。その軸を安定させるために、いわば人身御供になってきた沖縄。そこには、否定しがたい差別の構造がある。沖縄ブームの下で、南国イメージのみが一人歩きする祝祭空間「沖縄」の風景は、構造的差別を覆い隠す舞台装置でもある。

県民大会を受けて、「沖縄は怒っています」と同情してみせる中央メディアの言葉は、それを発する者の立ち位置を示している。基地の騒音や米軍絡みの事件とは無縁で安全な場所から発せられる言葉の重みはない。「戦後」という空間に安住してきた日本と、その空間の外部に置かれ続けてきた沖縄との〈距離〉を、そろそろ真剣に考えてみてもいいだろう。

不思議なことに、日米関係の危機を煽ることで、基地を沖縄に押しつけることに誰よりも積極的だったのは大手マスメディアだった。移設先をどこにするのかという出口なき相対論に普天間問題を矮小化し、日米安保体制の見直し、抑止論の真偽、そして基地の必要性といった本質的な議論を回避したメディアの責任は重い。

今日の東京新聞より

今朝の東京新聞の朝刊に目を引くコラムが2編掲載されていた。
一つは、北海道大学教授の山口二郎氏のコラムである。山口氏は、辺野古沖に新しい滑走路を建設するためには、知事の許可が不可欠であり、沖縄はまだ辺野古移設に対して拒否権を持っていると指摘した上で、次のように述べる。

福島社民党のけんか別れは愚劣な判断だったと思う。辺野古移設が実現するまでにはあとひと山、ふた山ある。民主党をハト派に引き留めるためには、社民党が連立にとどまることが必要だった。一時に自己満足のために大局を見失うというのは、日本の左翼にありがちな玉砕主義である。

かつて、プロレタリア文学者中野重治は、組織や運動を裏切った「転向作家」とレッテルを貼られても、ねばり強く、国家によって制限された表現手段の中で、反戦平和を唱え続けた。社民党も、連立の枠組みの中で、沖縄を裏切った「転向政党」と揶揄されようが、基地の国外移転に向けて努力をすべきだったのではないだろうか。
そして、山口氏は保革を超えた沖縄県民の団結に注目し次のように述べる。

中央の政治家や官僚、メディアは、沖縄県民を侮るべきではない。中央政府や無関心な国民が沖縄だけにツケを回す姿勢を改めないならば、辺野古基地は第二の成田空港になる可能性がある。

ここで、山口氏は沖縄基地闘争の中に、成田空港闘争のようなねばり強い平和運動につながる萌芽を見ている。

もう一つは、一面コラム「筆洗」である。そのなかに次の一節が掲載されていた。

沖縄在住の芥川賞作家目取真俊さんはかつて「沖縄の現実に対して、あなたはどうするのか、という問いが、すべての日本人に向かって沖縄から発せられています」(『沖縄「戦後」ゼロ年』)と指摘した。ほとんどの国民は、保障の負担を感じずに生きている。「その醜悪さを日本人は自覚すべきです」と目取真さんは迫る。普天間問題は鳩山首相を批判して終わる話ではない。

大変ぐさりとくる文章である。イスラムの「剣か、コーランか」ではないが、「自分たちの幸せか、沖縄の犠牲か」といった二者択一が私たち日本人に突きつけられている。

また、今日も立教大学大学院教授、哲学者の内山節さんの「グローバル化時代の幸せとは」と題されたコラムを堪能した。さっそく来週からの「現代文」の授業で活用してみたい。

本日の東京新聞夕刊の訃報欄

本日の東京新聞夕刊の訃報欄で、古筆学者小松成美氏の逝去が伝えられていた。
私の十数年前の大学の学部入学式というお祝いの席で、1時間近くに渡って専門の講義を続けた強者で、大変印象に残っている。
氏は古筆学という新しい学問を唱え大成させた人物として知られる。古筆学は中世や中古の文学作品の写本について筆跡の研究から筆者や年代を特定する学問である。せっかくのありがたいお話であったが、話の後半に入ると、私の周囲の学生だけでなく、壇上の教員も船を漕いでいた。その光景が記憶の片隅に今でも残っている。
どんな場であっても、顰蹙を買おうが、自分の学問については自身を持って語る、大学教授の矜持を感じた一時であった。

「迷走『普天間』の教え」

本日の東京新聞社説に、「迷走『普天間』の教え」と題された社説が掲載されていた。
普天間問題における鳩山首相の迷走ぶりを批判した上で、次のように述べられている。

  普天間問題で鳩山政治に最も欠けている点は、日米安保条約改定から半世紀を迎えて「日米同盟は日本の安全確保と同時に、世界平和にどう貢献できるのか」と いう大局論と、それを踏まえての「在日米軍基地のあり方」「自衛隊などの対米協力のあり方」という各論の詰めではないでしょうか。
本来なら昨年11月、オバマ米大統領が来日した際、「トラスト・ミー(私を信頼して)」といった情緒的な会話でなく、日米双方の政権交代を受けて「まず は大局論での意思疎通を深め、その上で沖縄の負担軽減を含めて各論の安全保障見直し論議に入りたい」と提案し、大統領の同意を取り付けるべきだったのでは ありませんか。
(中略)鳩山首相は「学べば学ぶにつれて米海兵隊の役割、抑止力維持(の大切さ)が分かった」と言いますが、とことん悩むことも指導者の姿勢として大事でしょう。
今からでも遅くはありません。鳩山総理、掛け違えたボタンをもう一度整え直してください。「五月末決着」が延びても日米同盟が崩れるほど今日の両国関係は、柔くはないと思いますよ。

まさに、その通りであると思う。ここ数年の大手マスコミによる「北朝鮮は危険な国」報道によって、鳩山総理の口にする「抑止力」なる言葉がすっかりと市民権を得てしまった。沖縄に駐留する海兵隊の存在そのものが地域紛争を「喚起」している現実をねじ曲げて。
この普天間問題を鳩山総理の資質そのものに求めていくマスコミの報道もどうかと思う。そもそも沖縄に基地が固定化されているというのは、1960年、 1970年の日米安保、1990年代後半の日米ガイドラインに端を発する問題である。しかし、それを鳩山総理の「言葉」にだけ問題を焦点化するのは、本質 的な問題から目を背け、恣意的に米国の一人勝手な世界戦略に与するのと同じである。
米軍基地は速やかにグアムでもどこでも帰ってもらうべきである。最悪は、県外である硫黄島でも良いではないか。そしてその代償として、日本には米軍基地へ の思いやり予算以上の平和外交をする覚悟が求められるのである。日本国憲法に規定された平和の象徴である天皇などは、今こそ右翼の力をバックに、米軍に 「ノー」を突きつけてほしいものである。