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今日の新聞記事

本日の東京新聞の朝刊の読書欄に、批評家平井玄氏への、著作『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)を巡るインタビュー記事が掲載されていた。
ふと読んでみると、昨日と同じ東京新聞大日方公男記者の文章であった。平井玄氏というと、15年ほど前、学生時代にどこかの飲み屋でとりとめもない話を聞かされたような記憶が無きにしもあらずである。あれは、ロフトプラスワンであったか、顔のよく見えない薄暗い空間であったことはかすかな記憶として残っている。

新宿に生まれ育ち、高校時代に全共闘運動に加わり、大学へ。だが、「引き際を逸して党派の内ゲバに追われ、エネルギーと屈託を抱え込んだまま新宿の街に流れ込んだ。そんな若い連中はたくさんいた。六〇年代がはらんでいた闘争や活動の可能性が舞台を大学から街に移して白熱した文化運動が展開されていたのですね」
(中略)
「家業の洗濯屋で働き、文壇バーやジャズクラブの裏口から出入りし、暗い緊迫感に満ちた様子を眺めたのは面白い経験だった。そんな中で、地方から出てきて学歴もなく仕事も続かず街をうろつく若者たちの姿や、元赤線地帯で育った自分の姿も次第に見えるようになった」
正義や理念を独占する前衛でもなく、利潤に邁進する産業の網の目からも逃れて、民衆の中に紛れこんで自らを媒介者とする〈自営労働者〉という自己規定は、そんな実感の後にたどり着いた。

本日の新聞から

本日の東京新聞夕刊の文化欄に京都精華大学教授の池田浩士氏のインタビュー記事が掲載されていた。懐かしい名前だと思いながら読んだ。
池田氏のコメントを引用してみたい。

ユダヤ人の虐殺など歴史を被害者の側からだけでなく、加害者の視点も含んで考える必要があると思います。ナチズムは自民族に伝統の力をもたらし、世界史の主流であった国際的な社会主義に異を唱え、それらを超モダンなラジオや映画というメディアを駆使して巧みに情宣した。そういう感性に変える創意の力に人々は抵抗できなかったのです。

ナチズムは失業を解消し、ボランティアや強制労働で国力を盛り返し、現実的な閉塞も取り除いてきました。就職氷河期や外国人労働者に3Kの仕事を任せている今の日本社会とどこか似ているんです。

人間は一所懸命に生きていると、かえって現実がみえなくなることがある。ナチズムの時代に生きて『希望の原理』を書いたブロッホは、不安や陶酔に足をすくわれがちな今という時間の闇ではなく、覚醒した未来を立脚点として歴史や社会を考えました。ホロコーストに行き着くのを避けるためです。

最後に、インタビュアーの大日方公男氏は、池田氏の長年にわたる全体主義批判の研究に触れながら次のように述べる。

国民のなかで文化や伝統の厚みを持ち、多数派の感情を占有し、暗黙の合意とされてきたものに向け、文学の想像力がどこまで拮抗できるか-。ナチズムの歴史や表現にも、死刑制度の問題にも、日本人の無意識までかたちづくる天皇制に関しても、文化の虚構性を解体するという批判が生きている。そうした作業が池田さんの評論活動の中心にある。天皇制については先ごろ、『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(現代企画室)を出している。
「具体的な生活や日常とカイリした借りものの思想や、現実を隠蔽した歴史のなかで批判的想像力が掴まえられてしまうのでは意味がありません」

「『普天間基地移設』という〈罠〉」

本日の東京新聞夕刊に、国際基督教大学准教授の田中康博氏の「『普天間基地移設』という〈罠〉」と題したコラムが掲載されていた。
一段落一段落が、ゴリゴリの反戦市民運動団体のような内容で、身につまされるような思いを禁じ得なかった。その一部を引用してみたい。

戦後日本の風景を根底のところで規定してきた日米安保体制。その軸を安定させるために、いわば人身御供になってきた沖縄。そこには、否定しがたい差別の構造がある。沖縄ブームの下で、南国イメージのみが一人歩きする祝祭空間「沖縄」の風景は、構造的差別を覆い隠す舞台装置でもある。

県民大会を受けて、「沖縄は怒っています」と同情してみせる中央メディアの言葉は、それを発する者の立ち位置を示している。基地の騒音や米軍絡みの事件とは無縁で安全な場所から発せられる言葉の重みはない。「戦後」という空間に安住してきた日本と、その空間の外部に置かれ続けてきた沖縄との〈距離〉を、そろそろ真剣に考えてみてもいいだろう。

不思議なことに、日米関係の危機を煽ることで、基地を沖縄に押しつけることに誰よりも積極的だったのは大手マスメディアだった。移設先をどこにするのかという出口なき相対論に普天間問題を矮小化し、日米安保体制の見直し、抑止論の真偽、そして基地の必要性といった本質的な議論を回避したメディアの責任は重い。

今日の東京新聞より

今朝の東京新聞の朝刊に目を引くコラムが2編掲載されていた。
一つは、北海道大学教授の山口二郎氏のコラムである。山口氏は、辺野古沖に新しい滑走路を建設するためには、知事の許可が不可欠であり、沖縄はまだ辺野古移設に対して拒否権を持っていると指摘した上で、次のように述べる。

福島社民党のけんか別れは愚劣な判断だったと思う。辺野古移設が実現するまでにはあとひと山、ふた山ある。民主党をハト派に引き留めるためには、社民党が連立にとどまることが必要だった。一時に自己満足のために大局を見失うというのは、日本の左翼にありがちな玉砕主義である。

かつて、プロレタリア文学者中野重治は、組織や運動を裏切った「転向作家」とレッテルを貼られても、ねばり強く、国家によって制限された表現手段の中で、反戦平和を唱え続けた。社民党も、連立の枠組みの中で、沖縄を裏切った「転向政党」と揶揄されようが、基地の国外移転に向けて努力をすべきだったのではないだろうか。
そして、山口氏は保革を超えた沖縄県民の団結に注目し次のように述べる。

中央の政治家や官僚、メディアは、沖縄県民を侮るべきではない。中央政府や無関心な国民が沖縄だけにツケを回す姿勢を改めないならば、辺野古基地は第二の成田空港になる可能性がある。

ここで、山口氏は沖縄基地闘争の中に、成田空港闘争のようなねばり強い平和運動につながる萌芽を見ている。

もう一つは、一面コラム「筆洗」である。そのなかに次の一節が掲載されていた。

沖縄在住の芥川賞作家目取真俊さんはかつて「沖縄の現実に対して、あなたはどうするのか、という問いが、すべての日本人に向かって沖縄から発せられています」(『沖縄「戦後」ゼロ年』)と指摘した。ほとんどの国民は、保障の負担を感じずに生きている。「その醜悪さを日本人は自覚すべきです」と目取真さんは迫る。普天間問題は鳩山首相を批判して終わる話ではない。

大変ぐさりとくる文章である。イスラムの「剣か、コーランか」ではないが、「自分たちの幸せか、沖縄の犠牲か」といった二者択一が私たち日本人に突きつけられている。

また、今日も立教大学大学院教授、哲学者の内山節さんの「グローバル化時代の幸せとは」と題されたコラムを堪能した。さっそく来週からの「現代文」の授業で活用してみたい。

本日の東京新聞夕刊の訃報欄

本日の東京新聞夕刊の訃報欄で、古筆学者小松成美氏の逝去が伝えられていた。
私の十数年前の大学の学部入学式というお祝いの席で、1時間近くに渡って専門の講義を続けた強者で、大変印象に残っている。
氏は古筆学という新しい学問を唱え大成させた人物として知られる。古筆学は中世や中古の文学作品の写本について筆跡の研究から筆者や年代を特定する学問である。せっかくのありがたいお話であったが、話の後半に入ると、私の周囲の学生だけでなく、壇上の教員も船を漕いでいた。その光景が記憶の片隅に今でも残っている。
どんな場であっても、顰蹙を買おうが、自分の学問については自身を持って語る、大学教授の矜持を感じた一時であった。