社会運動」カテゴリーアーカイブ

「朝鮮学校差別に反対する大学生東京集会」

以下、メーリングリストより転載します。

〈集会等お知らせ〉
★「朝鮮学校差別に反対する大学生東京集会」
◆日 時:10月4日(土)18時開始(17時40分開場、20時30分終了予定)
◆場 所:文京区民センター・2-A会議室 東京都文京区本郷4-15-14
*アクセス:都営三田線・大江戸線「春日駅」徒歩2分、
東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」徒歩5分
◆参加費:資料代として500円

<集会の内容>
●第1部:講演会「朝鮮学校と日本社会-その差別の根源を問う」
★講師:金尚均先生(龍谷大学教授)

●第2部:自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会の参加者による報告
去る7月と8月に行われた自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会の日本審査では、ヘイトスピーチや日本軍「慰安婦」の問題とともに朝鮮学校に対する差別的扱いに関する問題が大きく取り上げられ、人種差別撤廃委員会の総括所見では、「高校無償化」制度からの排除や補助金の不支給などの朝鮮学校に対する差別を是正するよう日本政府に勧告がなされました。第2部では、自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会に参加した方々による報告を行います。

●大学生たちによるアピール
○主催:在日本朝鮮留学生同盟 東京地方本部(留学同東京)
○連絡先:(03)3891-0239、ryutokyo04@yahoo.co.jp

20141004

経産省前テントひろばMLより

経産省前テントひろばのメーリングリスト「テント日誌」[9/5]より転載します。
「政治屋」に頼らない無党派運動の「現場」に根ざした文章である。

 昼過ぎには鹿児島の川内原発の地元の人だという二人がテントを訪ねてきた。訪ねてきたというよりはテントを見ていた二人にパンフを渡しながら話かけたら明らかにしたのである。彼らは原発再稼動の賛否はいわなかったが結構長い話になった。反対派の展望というか、政策めいたことを質問してきたのは関わりの深い人のようにも思えた。原発推進派は最後に雇用と地域経済のことを持ちだすが、これは悪循環であって、原発維持派は原発に頼らなくてもいい経済的・地域的再性の可能性を潰してきたし、それをネグレクトする形で原発存続の構造を維持をしてきたのではないのか。こういう疑問が出てくるのだけれど、原発が地域経済を振興させるという神話が解体したる今、それをさらにはっきりさせるためにも原発以外のエネルギー開発と地域経済の再生の展望を明確にして行くことの必要を感じる。

 現在、商業用の原発は稼動を停止しているし、それはやがて1年になろうとしている。「電気が足りない」「原発は安い」という神話が安全神話の崩壊に続いているが、僕らはこの稼働停止の中で脱原発の現実的な闘いが展開されていることを忘れはならない。脱原発の運動(政治的意志表示など)のことではない。原発推進派とそれ以外のエネルギー開発をめざすグループは日々しのぎをかけた闘いをやっているのであり、停止が一日でも延びれば原発推進派は不利になる。原発以外のエネルギ―開発やそれに向かう投資は進み、原発存在の基盤は減衰して行くからだ。かつてもそういう時期があったが原発推進派の勝利はエネルギ―開発の動きを潰した。今度はそれをさせてはならない。脱原発の運動は多様な、まさに重層的な展開をしながら連なっているのである。

朝日新聞の「プロメテウスの罠」は「2人の首相」という記事で小泉や細川のことを取り上げていた。彼らが政党や政治に距離を置き、国民運動に軸足をおいて行くと宣言しているのは賢明であり、さすがに彼らは分かっているのだと思った。脱原発運動の広さと深さを視座として持っていることをこの発言はしめしているが、これまで本家として脱原発運動をやってきたと自認する部分は、秋に陣に当たってこの辺を帰り見るのも必要かと思う。自分たちのやってきたことを帰り見る事は前に向かうためにやらねばならぬことであり、それはいつだってやり足らないことなのだ。(三上治)

日本語を母語としない子どもと保護者の高校進学ガイダンス2014

今年も「公益財団法人埼玉県国際交流協会」が主催する「日本語を母語としない子どもと保護者の高校進学ガイダンス」が大宮ソニックシティ4階の市民ホールで開催されます。

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詳細は 公益財団法人埼玉県国際交流協会「高校進学ガイダンス」 をご覧下さい。

テント日誌(6/27)より転載

経産省前テントひろばメーリングリスト「テント村日誌」より一部転載したい。

<国会周辺は集団的自衛権行使容認への抗議の声が>

 今日は朝早くから官邸前で「集団的自衛権行使容認の閣議決定」の動きに対する緊急の抗議行動があった。官邸前には600人余の人が集まり抗議の声をあげた。この集団的自衛権行使は個別的自衛権発動の要件「不正な侵略、排除に他の手段がない、必要最小限の実力行使」であったのに、「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かせれ、国民の生命、自由及び、幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあるとき」に変えられている。他国に対する武力攻撃により、我が国の存立が脅かされるという事態は明瞭ではなく、解釈によってはとんでもないことになることは明白である。今、イラクでは内戦状態にあり、アメリカの参戦も想定外ではない。かつてのイラク戦争ではイギリスがアメリカ軍への攻撃を我が国の存立が脅かされるとして参戦したのだが、今度は日本がイギリスの替わりに出掛けていくのかも知れない。そんなことは拡大解釈だと言ったところで安倍内閣には通じまい。要するに自衛隊を海外の軍事行動に参加させ、それで国民の意識を変えたいのだ。そうしたくて仕方がないのであり、こういう目的がある限り、拡大解釈なんて織り込み済みというだろう。僕が今度の集団的自衛権の論議をみていて思うことは、自衛隊の海外での戦争をやることに目的というか、意義を見いだしている政府であるということであり、そのためには何でもやるということだ。これが安倍や側近だけのことか、自民党全体のことかは判断できないが、戦争を自己目的にする連中が出てきたということである。これと闘うのは容易なことじゃないが、道はある。阻止する道は国民の戦争の同意を阻止することであり、国民の意志を戦争の否定として固めることだ。戦争は政府の行為として行われるが、それには国民の同意がなければできない。それを阻止するために様々のしかも永続的な闘いが必要なわけでそれをやり抜いていくしかない。

 M・フーコーが日本で、赤紙一枚で兵への召集が可能だったのは、国家権力(政治権力)に協力する社会権力があったからだと述べていることを想起したい。戦争は国家権力が主導するのだけれどもそれだけではできない。社会の側での協力というか、それに応じる体制を必要とする。ここでのつまりは社会という日常場での戦争同意体制と闘う道がある。地方自治体・職場・学校・家という場での日常的なところに浸透してくる戦争同意の動きと闘うことである。今度の議論をみていて僕はあらためてその必要を感じた。今から権力の側の戦争同意体制形成の動きと永続的な闘い(抵抗)の局面に入ったことを認識し、その抵抗方法の検討も含めて僕らは進むしかない。でもそこは広大な闘いの場であるが、これまで考えられなかった道もあるのだと思う。長い射程と広がりの中で戦争を否定する非戦の道を創り出して行くことは可能であり、それを考え抜こう。考え、行動し、また考える。それを繰り返そう。ヒントは歴史の中にあるはずだ。明治維新後、日本の国家権力は国民の戦争への同意を獲得するために、長い時間の中で社会への浸透を図ってきたのであり、この過程を見れば自ずと抵抗の道も見えてくる。彼らがどのように戦争に同意するように国民意識を変えようとしてきたか、それに抵抗する部分は何で、どこで敗北したか、この歴史を知ることで、僕らの未来の闘いの道は見えてくる。そこに可能な道も見えてくるし、創りだせるはずだ。

 集団的自衛権の官邸前抗議行動が終わって少し経った頃から、雨が降ったりやんだりして、夕方の官邸前行動を危ぶんでいた。そうしているうちにベルギーのジャーナリズム志望の学生さんたちから取材を受けた。学生さんたちしては本格的な取材のようでこちらもそれに対応した。第二テントで取材を受け、久しぶりにテントのことを振り返りながら、先の話もした。そのうちに官邸前抗議行動もはじまり、彼らもそちらに向かった。何となしに騒がしかったが、気持ちの充実した一日だった。官邸前抗議行動も雨のぱらつく中であったが、緊張もあり良かった。(三上治)

テント日誌より転載

「経産省前テントひろば」のメーリングリストになるほどと思う文章があったので転載してみたい。

テント日誌 5月9日(金)
経産省前テントひろば971日目 商業用原発停止236日

都知事選の後の行動が注目されていた細川・小泉の両氏も動きをはじめたらしい。政府筋は故意に無視する態度を取っているが、それだけ気をかけていることを逆に物語るのだと思う。選挙がらみで傷痕を持っている人も少なからずいるとのことだが、脱原発運動のことを思えば彼らの動向に注目し、提携を考えるのは当然である。彼らの本気度というか、やる気を僕は率直に評価する。政治的というか、党派的なところに引き込まれる事を警戒し、自分たちの役割を国民運動に絞ろうとする態度も好感が持てる。政党の現状を見ればこれはとても大事なことである。既得権益に足を取られて曖昧な態度をとる連合やそれに引きずられている民主党の無残な姿(例えば原発輸出に対する対応)を見る時、この辺のことを彼らなりによく考えての戦略であると思う。将来はともかく、現在の政治党派は脱原発―反原発運動に対して意味のある存在ではない。黒子に徹して背後から支援するのが最良のあり方で、それ以外はいいことはないのである。それが現状である。

再稼動時の反対行動やその動きがどうなるかは分からない。だが、大飯原発再稼動時の反対運動の限界もよく見えているはずで、それを超えて行ける可能性があれば、そのことにアンテナと視野を延そうとするのは当然である。想定外のことが起きたり、出てきたりするのが運動だが、残念なことにかつて革新陣営と呼ばれていた系譜の運動にはその可能性がほとんどない。これは僕の独断であるが、経験的に見てこのことは確かであるといえる。それを訂正する必要のある運動が生まれればいいのだが…… (三上治)