労働の喜び → 激落ちくん

忙しさはやはり変わらない。一日中ばたばたしている。

最近アパートの掃除に凝っている。疲れているときに無心に掃除をするというのはストレス解消に良い。現在の日本では、仕事が時間と分担によって断片化されてしまい、そこで働く労働者自身が自分の仕事が全体のどこに位置づけられているのかつかみにくい。そのために仕事を通じての達成感が実感できず、仕事に対する疎外感から心身ともに疲れてしまう。この点について『資本論』(河出書房)の中では次のように紹介されている。

たとえば多量の完成品が一定期間内に供給されねばならないとしよう。すると労働が分割される。同じ手工業者にさまざまな作業を時間的に順次に行なわせる代わりに、それらの作業がたがいに引離され、孤立させられ、空間的に並立させられ、それらの作業の各々が別の手工業者に割り当てられ、全作業をいっしょにしたものが協業者たちによって同時に遂行される。(中略)これらの作業は、経験によって、さらにずっと細分化され、孤立化されて、個々の労働者たちの排他的職分にまで自立化された    (「分業とマニュファクチュア」)

その点、部屋の清掃というものはその作業に従事するものにとって、全体像が把握でき、創意工夫をこらしつつ、達成感を得ることができるものである。つまり労働者にとって一定のよろこびを伴うものである。10年以上前にテトリスというゲームが大ヒットしたが、そのからくりは全体把握、一定の工夫を加える余地、目に見える達成感の3つの条件をクリアーしていた。

私が現在掃除に凝っているのはもう一つ理由がある。それはスポンジにある。今、「激落ちくん」という洗剤を使わないスポンジが気に入っており、お風呂に入りながらあちこちキュッキュッとこすっている。お風呂周りの目に付かない水あかが落ちていく感覚が手に伝わってくるので面白い。この「激落ちくん」であるが、サイズが5種類あり、「激落ちベイビー」「激落ちママ」「激落ちパパ」「激落ちキング」とラインナップされている。スポンジという無味乾燥な清掃用具にキャラクターの要素を与え差別化を図っていくアイデアはなかなか鋭い。そのうちウルトラマンのように、「激落ちタロウ」やら「激落ちエース」「帰ってきた激落ちくん」「激落ち80」などが現われてくるのだろうか。

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