ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房 2002)を読む。
『もし世界が百人の村だったら』の訳者で著名な池田香代子さんの新訳で読みやすかった。アウシュビッツに近い強制収容所での経験を描いた作品であるが、戦争に対する批判よりも、極限の状態から得た「生きる意味」を真摯に捉える作品であった。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
おそらくこの究極の言葉の前に、あらゆる人生教訓的な金言格言は意味を失ってしまうだろう。生きる意味を問う余裕すらない収容者の言葉であるが、現在の私達の心に強く響いてくる。引きこもりを続けている者やいじめに遭っている者こそ読んでほしい本である。私達が 日常悩んでいることを客観視できるかもしれない。