『人間失格』

落ち着かない日々を過ごしている。

太宰治『人間失格』を読み返す。
ちょうど仕事で『人間失格』についての評論の一部を読んだので、久しぶりに読み返してみた。高校時代に一度、大学時代に一度読み、今回が3回目であろうか。
「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」という有名なくだりにある通り、悲劇のヒーローにもなれず、ただ周囲との窮屈な人間関係から逃げ回るだけの主人公葉蔵を通した太宰治自身の自叙伝である。人間であれば誰しもが抱える人間不信、将来に対する不安、異性に対する恐怖などを太宰は正面切って描く。周りは普通に楽しくやっているのに、なぜ自分は楽しくないんだろう、なぜ普通なことが出来ないんだろうといった悩みは青少年に共通するものである。誰かに負ける、いじめられるといった他者に対する敗北は物語になるが、自分に対するコンプレックスは物語には決してなり得ない。自殺直前の作家だからこそ出来た芸当であろうか。

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