元旦に思う。。。
映画から帰って、紅白を「あ〜だこ〜だ」言いながらも楽しみ、「ゆく年くる年」の「ゴ〜ン」という映像を見て、ジャニーズのカウントライブを横目にソファの上でだらだらとくつろいでいた。
今は、「朝まで生テレビ 元旦SP激論…がけっぷち日本」を見ながらパソコンに向かっている。午前3時を回っている。昨年暮れから問題になっている派遣切りについて喧々諤々の議論が展開されている。今回の不況の原因と責任、そして解決案について様々な立場から論じている。
思えば、ちょうど10年前の1999年の元旦は、テレビ朝日のスタジオでこの番組を参観していた。確か当時のテーマは日本国家の尊厳といった抽象的な話だったように思う。そして、その帰りに六本木から渋谷へ移動し、宮下公園で行なわれていた野宿者の越冬闘争の手伝いに出かけた。いわゆる「ホームレス」を支援するのは政治的意図があると危険視されていたのか、公安警察に「見守られ」ながらの仰々しいボランティア活動であった。
テレビを見ていると、政治家の机上の空論よりも、NPO法人「もやい」の湯浅誠氏や、フリーター全般労組の山口素明氏、週刊金曜日の編集委員雨宮処凛さんたちの意見は地に着いている。山口氏は96年だったか97年だったか、駒寮斗争の時から押しの強さは変わっていない。当時もチェーンソーを奪い合いながら、廃寮の責任を解体業者に押し付けようとする東大当局に対して怒鳴りつけていた姿が印象的だった。
一体自分は、元旦からだらだらとお菓子を食べながらテレビを見ていてよいのだろうか。
テレビのアナリスト話だと、日本はこれから5年は不況が続くという。これまでの高校教育は、意欲がなく高校を中退たり、卒業してもニートやフリーターになってしまう生徒をなくすことを目標の最低ラインに置いてきた。雇用の流動化や働き方の多様化と併行して、高校教育の多様化も進んできた。通信制高校や総合制、フレックス制など「オンリーワン」を重んじる教育を突き進んできた。小中学校の選択性や単位制高校などこの流れに沿うものであろう。生徒一人一人を重んじる「オンリーワン」という教育は、逆に言えば一人一人は違う人間であり、他者に無関心でもよいという雰囲気を作り出す。90年代後半から携帯電話の普及がこの「孤立化」に拍車をかけてきた。
しかし、この不況を乗り越えていくには、初等・中等教育段階で、ワークシェアリングや組合の活性化などに積極的になれるような、働く同僚を大切にする思いやりや仲間意識を育てていく必要がある。同じ職場で同じ仕事をしながら、賃金体系が全く違う、雇用主が違うことに無関心、同僚の契約が途中で切られようが、遅くまで残業していようが自分とは関係ないといった考え方を教育段階から変えていかなくてはならない。
果てしない道であるが、千里の道も一歩から。とりあえずは、生徒の「個性」やわがままに振り回されることなく、学級活動やホームルーム活動、行事といった「逃れられない」ような教育活動の充実を図っていくべきであろう。
この冬休みを利用し、自分自身の社会を見つめる視座を確立し、そして、あるべき社会像を支える教育の理念を確りと持ち、人づくりをはかっていきたいと思う。
朝の4時を回って頭が回らなくなってきた。。。