『線量計と奥の細道』

ドリアン助川『線量計と奥の細道』(集英社文庫 2021)を読む。
ちょうど作者が50歳になった年に、ダホンの折りたたみ自転車で、線量計で放射線を検知しながら、奥の細道を辿るという冒険日記となっている。松尾芭蕉も45歳で東北を回る旅に出て、50歳で亡くなっている。そして、自分への誕生日プレゼントだと、ダホンの折りたたみ自転車を購入した、50歳の私がこの本を読んでいるというのは、何か運命的なものを感じてしまう。
秋田県の象潟までたどり着いたところが印象に残った。象潟は芭蕉が訪れた1690年頃は、海に無数の小島が点在し、「東の松島、西の象潟」と呼ばれるほど美しい場所であった。しかし、1804年に起きた象潟地震で、沿岸の土地が1〜2メートルも隆起したため、小島のほとんどが陸地になってしまった。以下、その象潟を訪れた際の一節である。

それにしても、象潟という地よ。
私はひとつのシンボルとしてこの地を捉えたい。
たった三百余年で、風景と環境はこれだけ変わるのだ。象潟の海に島々ができたのも、そこが盛り上がって陸地になってしまったのも、鳥海山の噴火と地震活動のせいだ。すなわちやはり、この列島は生きている。環太平洋の火山地域は常に激しく身震いし、土地の形を変え続けている。三百余年なんて地球史的にはほんの一瞬だ。それほど揺れ動く列島の上で私たちは暮らしている。事実、震度5以上の地震の発生率は日本列島が群を抜いて世界一だ。我が国は、地震の巣なのだ。津波ひとつで大事故を起こしてしまう原子力発電所はやはり「向いていない」と言わざるを得ない。