中里恒子『時雨の記』(文春文庫 1981)を読む。
作者の中里さんは、日本初の女性で芥川賞を受賞しており、横光利一や川端康成とも親交のあったとのことで、国語便覧で紹介されていそうな作家である。
1977年に刊行された本の文庫化である。50を過ぎた会社経営の既婚男性と夫を亡くし片田舎でひっそりと寡婦生活を続けてきた40代女性の恋愛小説である。細君とのいざこざや会社経営、病気の悪化など、およそ若者同士の溌剌とした恋愛にそぐわない話が続く。それでも銀閣慈照寺のような質素なムードの中に、信頼や思いやりといった感情を感じることができた。
登場人物の男性をして次のようなセリフがある。印象に残る一節であった。
恋は若いときの情熱だけであろうか。出會の問題であろうか。俺の心をかきたてる情熱は、にべもなく言えば、男の本能であろう。若い時は、本能のほかに、野望も、征服感も、雑多な不純物もまざっていた。尋常に暮して、妻子にも不自由させず、仕事も一應やるところまでやった男の、その上の、また別の世界で、恋しい女と、一日でも思いをとげたいという慾望は、過去のことごとくを捨てる覚悟の上の、捨身ではなかろうか。