元日の東京新聞

新年最初の東京新聞だが、一面トップは、福島除染事業で汚染土を詰めた二重袋の内袋を閉めなかった手抜き作業に関する記事である。流石、東京新聞、ブレない。ここしばらく、廃炉や除染作業の問題はテレビやネットニュースではあまり扱われなくなった。しかし、本来は日本の安全神話の崩壊の象徴なのだから、毎日のように報じられなくてはならない問題なのである。

社会面は米軍岩国基地の機能拡大に関する話である。岩国では、殴り込み部隊といわれる海兵隊のステルス戦闘機の訓練が日々続き、厚木基地からFA18スーパーホーネット戦闘攻撃機など海軍の空母艦載機約30機が移転しており、嘉手納を抜いて極東最大級の航空基地となる。北朝鮮の脅威が喧伝される一方で、日本国内で戦争準備は着実に進んでいる。
また、国が市に出す防衛関連の補助、交付金は2017年度だけで114億円に上るという。見返りの一方で危険に晒される危機も一段と大きくなっている。原発立地と同じ構造である。

2018年は明治150年とも言われるが、大学や高校で広がった全共闘運動から50年の節目でもある。「こちら特報部」では、都立青山高校の60代後半となった元活動家と現代の10代の青年とのやりとりが掲載されている。過去にこだわる団塊世代と未来に託す若者の考え方の違いが手に取るように見える内容だった。
青山高校で自治会議長を務めた中村氏は次のように語る。

 今の自分と違う自分が高校時代にいる。それが恥ずかしい。
 入社した当初は後ろめたさがあり、出世してはいけないと考えた。自分の生き方を貫けているか、と自問自答もした。しかし、そうした葛藤は次第に仕事に持ち込まないようになっていった。

 

また、同じく、青山高校で公務執行妨害で3日間勾留された経験を持つ田中氏は次のように語る。

 日本の経済成長は原発があったからこそだとも思う。私はその成長の恩恵を受け、商売を営み、人間関係を築き、子どもを産んで育ててきた。原発を否定したら果たして今の自分はあったのだろうか。
規則に縛られず、教師と生徒の役割のよる対立も大人の壁もない。私たちが当時、戦った課題の半分以上が解決されている。
体制が黒一色でないと、当時は知らなかった。緑も黄色も織りなしていた人たちがいたのに、黒一色なら赤になろうと思った。多様な人たちがいっぱいいたと気付くのは、社会に出て勉強してからだった。

 

10代の青年である蓑田さんは次のように語る。

 50年前の政治闘争がその後数年で収まったように、2015年の安保法制反対のデモに集まった人たちももうどこに行ったか、分からない。一時の感情の高まりだけでは駄目で、継続が必要だ。

 

スポーツ面ではサッカー全国高校選手権の記事が載っていた。男子も女子も冬休みに全国大会が行われるのだが、日程についてはそろそろ再考するべきではなかろうか。テレビ局の都合で視聴率が取りやすい冬休みに大会日程が設定されているのだが、センター試験直前であり、大学受験を考えている3年生の生徒にとっては勉強どころではなくなってしまう。女子も数年前までは夏にひっそりと行われていたのだが、男子に合わせて1月の開催に変更されている。

プロスポーツや実業団であれば、注目が集まりやすい年末年始の大会は全く問題ない。また、大学生も夏〜秋に就職活動があるので、正月の箱根駅伝も影響は少ないだろう。しかし、高校生は夏までに部活動を引退して本格的な受験モードに入るのが一般的である。

サッカー競技も、高体連主催で8月に全国大会(インターハイ)を実施しているのだが、他競技とのバランスを考慮するためか注目されることは少ない。それよりもプロ選手育成を目指した日本サッカー協会主催の選手権大会がメイン大会となっており、夏から最後のシード争いに向けた大会が始まる。1人のプロ選手を発掘、育成するために100人の生徒の学校生活に影響を及ぼすシステムとなっている。本来高校生が学業と両立を図りながらスポーツに打ち込む環境を整えるべき高体連であるが、サッカーだけは匙を投げてしまったのか、全く別扱いとなってしまっている。高体連とサッカー協会による大会の過密化により、顧問のワークライフバランスまでも犠牲になっている。出演料もないアマチュアの高校生が、テレビ局お得意の美談調な裏話や青春ドラマの演者に仕立て上げられていることには疑問を禁じ得ない。