日別アーカイブ: 2025年11月12日

「広がる核被害者と新しい国際連帯の絆」

丸山茂樹「広がる核被害者と新しい国際連帯の絆」(社会評論社『季刊クライシス』,1988冬)を読む。40年近く前の雑誌を引っ張り出してみた。寅書房の値札が懐かしい。宇井純氏や降幡節男氏、菅孝行氏、高橋順一氏など、当時のリベラル系論客の懐かしい名前が並ぶ。
その中で、「季刊クライシス」編集委員の丸山茂樹氏の論文が印象に残った。1988年の段階で、核被害国サイドからではなく、核加害者という側面を取り上げていたのは慧眼であろう。「(反核)運動に携わる人びとが相変らず“被害者意識”に依存して運動を組立てようとし、狭い料見の上にあぐらをかいている」とはなかなか言えることではない。

先日の長崎平和集会で、被害者サイドからのアプローチではなく、加害者サイドからの分析を加えることで、問題が立体化されるとまとめたばかりであるが、40年以上前のレポートに掲載されていたことであった。

そして、これまで十分に取上げられてこなかった事ですが、日本の三十三基の原子力発電所で今、毎日毎日使われているウランは外国のウラン鉱山で掘られ続けている物だという事です。アメリカのウラン鉱山で働いたことのある先住民にきいた事ですが、彼らは「自分達が政府に取上げられた土地で採掘させられたウランによって原爆がつくられ、ヒロシマに投下されそれが二十数万の市民を一瞬にして死に至らしめた事を後日知った時、大きな悲しみと怒りと自責の念にさいなまされた」と語るのです。
ここで述べた若干の事実をみても、今や日本が核加害国として諸国民の前に姿を表している事が指摘できる訳ですが、最も大切なことは運動に携わる人びとが相変らず“被害者意識”に依存して運動を組立てようとし、狭い料見の上にあぐらをかいているという事でしょう。加害者としての認識と自責の思いをいた時代錯誤の思想の点をいやという程晒け出しているのだと思います。