澤地久枝『おとなになる旅』(ポプラ社 1981)を読む。
著者の澤地さんは1930年生まれなので、51歳の時の著書である。かつての満州、中国の吉林省で過ごした子ども時代の思い出が綴られている。中国東北地方の田舎で、裸で過ごした小学校時代のエピソードや戦争が激しくなってきて学校から先生が召集されていく場面などが描かれる。
わたしは今までに、自分の難民生活について、あるいは引き揚げ体験について、ほとんど書いたり語ったりしていません。それはおとなたち、あるいはわたしたちの世代の人たちをふくめて、おおくの人たちの引き揚げ話が、みんな被害者意識で書かれていることへのやりきれなさからです。ほとんどが、ひどい目にあいました、ずいぶんつらい生活をしました、財産もなにもみんななくして帰ってきました、という視点で書かれていたからです。
でも、なぜリュックサックひとつになって帰ってきたのか。なぜ命からがらにげなければならない非難行があったのか。難民生活があったのか。その原点をさぐってゆけば、日本がよその国へせめていって、そこでその土地の主人のような顔をして暮らしていたことの結果なんですね。わたしは子どもで、そのことの直接の責任はおえません。しかし、侵略し支配した側にいた子どもであったということを、忘れることはできない。難民生活も引き揚げも、少女期にはいっていたわたしにとって、かなり試練であったとしても、わたしは被害者という気持だけではそのことは語りたくないの。