月別アーカイブ: 2018年11月

『技術と文明の歴史』

星野芳郎『技術と文明の歴史』(岩波ジュニア新書 2000)を読む。
第二次世界大戦の原因について次のように述べる。

ところで、国を越えての基本的人権が(戦後)明確に打ちだされたからには、第二次世界大戦以前からのイギリスやフランスの植民地支配は、植民地住民にたいする人権侵害そのものではないかという問題が、ただちに生じます。そもそも、イギリスとフランスが、自国では基本的人権の重要さを謳いながら、国の外では武力によって世界各地の住民を支配し、そこから膨大な利権を吸い上げたことに、第二次世界大戦の遠因があります。それがドイツや日本を刺激し、彼らも同じことをしようとしたところ、イギリスやフランスやアメリカに妨害されたのです。それで彼らのナショナリズムが燃え上がったのです。そのナショナリズムが国内の人権に圧倒的に優先し、国外に押し出されたことが、第二次世界大戦の直接の原因です。

また、日中戦争中、日本軍は、中国の共産党(八路軍)と民衆が結びついた河北の解放区を攻撃する際に、殺光(殺し尽くす)、焼光(焼き尽くす)、搶光(そうこう)(奪い尽くす)の三光作戦を展開する。著者はその点について次のように述べる。

 日本軍は国を裏切った一部中国人も軍隊に加え、270余の戦闘をかさねて、この解放区をほとんど占領しました。住民の死傷者や捕虜は5万人を超えました。解放区は格子状に1635の地区に分割され、中国人を使って、それぞれに到達する軍事道路をつくりました。その総延長は3000キロを超えました。各地区の連絡ができないように、中国人に命じて地区間にクリーク(溝渠)も作らせました。その総延長は300キロに達しました。そうでもしなければ、日本軍は解放区からの中国軍の出撃を防げず、中国の鉄鉱石や石炭を日本に送るという任務を果たせなかったのです。

日本軍は、こんなふうに次々と解放区を占領しました。住民の半ば近くは難民となって、解放区から外部に逃げ出しました。三光作戦が開始されたときのそれら解放区の人工は全部で1億人も遭ったのですが、それが5000万人に減り、八路軍の兵力も50万人から30万人に落ち込みました。1938年以来から数えれば、全国の80の解放区で殺された者の総数は300万人、消失した家屋は1780万戸に達したと、1946年に中国の『解放日報』は報道しました。解放区の損害だけでも、日本人がこうむった無差別攻撃のや原爆投下の比ではありません。全ては、戦争が日本の国土の中でなく、中国の国土の奥深くで行われたことに起因しています。他国に侵入すれば、住民は自国の軍隊とともに必ず反撃します。そうすれば、日本人はこのような残虐行為をやらざるをえなくなるのです。

憲法第9条での「戦争の放棄」とは、このような戦争を二度としないという、世界に向けての日本人の決意表明のはずです。日本人自身のいましめでもあります。極東軍事裁判でも、土肥原賢二大将は在満特務機関長として、板垣征四郎大将は中国派遣軍総参謀長として絞首刑の、梅津美治郎大将は関東軍司令官として終身禁錮の判決を受けました。それぞれ中国に対する侵略戦争の責任を取らされたのです。

ところが大部分の日本人は、日本軍が中国でこんなふうに戦争をしているとは知りませんでしたし、現在でもあまり関心がありません。日本とアメリカとの戦史はたくさん出版されていますが、中国との戦争については寥々たるものだということが、それを証明しています。それだけに、戦争放棄の条項は、日本人にとって、現在は言うまでもなく、将来とも大きな重みをもっていると、私は思います。

「復旧加速 揚水発電に光」

本日の東京新聞朝刊に、9月の北海道の全域停電に際して、揚水式の北海道電力京極発電所が復旧に大きな役割を果たしたとの記事が掲載されていた。揚水式発電所というと原発の補完的な設備であり、夜間にだぶついた電力で揚水し、昼間に放水して発電し最大需要に応えるといったものだと思い込んでいた。森林の破壊もあり、全く考慮する余地のないものだという認識だった。

しかし、記事によると、上下2つのダムで構成し、下のダムからポンプで水をくみ上げれば蓄電池に、上のダムから放水すれば発電所に早変わりする揚水式発電所は、太陽光や風の強さによって出力が不安定となる再生エネの「波」を整え、電力の需要と供給を一致させる強力な武器となるという。

札幌近郊にある京極発電所では、昼間に余った太陽光の電力で水をくみ上げ、上のダムに貯水し、日が暮れて太陽光の発電が落ちる夕方になると、上野ダムから放水して発電し、需要が増える夕方の電力供給の一割を賄った。石炭火力や原発は出力の調整に時間がかかるのに対し、最新の揚水式の京極は、わずか3分でフル稼働することができ、電力需要に細かく対応することが可能である。

大規模な風力や太陽光の発電所は、蓄電池で安定させてから送電網に接続する必要があるが、この揚水式を活用することで、すべての再生可能エネルギーの受け入れが可能になった。

詳細については触れられていなかったが、夜間電力の活用とは真逆のシステムが構築され、更なる運用が検討されているというのは評価したい。

「伝えたい 福田村事件」

本日の東京新聞朝刊に、1923(大正12)年の関東大震災後、千葉県福田村(現野田市)で香川県から来た行商団が地元の自警団に暴行され、9人が殺害されたという「福田村事件」に関する講演会のお知らせが掲載されていた。

講演を行う辻野弥生さんの著書『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(崙書房出版)によると、1923年9月6日午前10時ごろ、関東一円で薬を売りながら、茨城県に向かおうとしていた香川県の被差別部落の行商団15人が福田村三ツ堀の香取神社で休憩した。震災後の混乱で「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が来襲する」などの流言飛語が流れ込み、福田村と隣の田中村(現千葉県柏市)の自警団が行商団を尋問。四国地方の方言が理解できず、朝鮮人と疑い9人を殺害したとされる。
犠牲者の中には2、4、6歳の幼児3人もいた。妊娠中の23歳の女性も殺害され、胎児を含めると犠牲者は10人ともいわれる。

福田は首都圏にありながら利根川沿いの田舎風景が広がるのどかな地域であり、100年近く前に陰惨な事件が起きたとは想像もつかない。辻野さんの「『あった』ことを『なかった』ことにはできない。知って、語り継がねば」という言葉が印象に残る。

「英の離脱 終わりの始まり」

本日の東京新聞夕刊に仏のEU強硬離脱派の人民共和連合のフランソワ・アスリノ党首のインタビューが掲載されていた。私自身、テレビのニュースを見ている限り、反EUを掲げるのは右派の若者であり、国粋主義に繫がるものだと思い込んでいた。しかし、記事を読むと、アスリノ氏の主張は左派に傾いている。反EUという点だけで一緒くたにはできない文脈を読み取る必要がある。

他はEUの改革を掲げている。国民連合(旧国民戦線)のルペン氏も、今ではEU離脱を公約から外している。EUの存在自体を疑問視しているのはわれわれだけです。EUは機能不全。「出るしかない」というのが私の主張です。

欧州統合のプロジェクトはそもそも実現不可能だった。言語や宗教、経済が異なる28ヵ国を統治するには、各国の利益に合わず、市民が望まない政策を押しつけるという反民主的で独裁的な手法にならざるを得ない。フランスはアフリカ諸国などとグローバルな関係を築いてきたのに、白人のキリスト教国が集まるのは閉鎖的で人種差別的とも言えます。さらに、仏独の和解で欧州の平和が保たれてきたと皆言うが、21世紀の今日、対独戦争はあり得ない。逆に欧州が一つにまとまることで、中東やロシアとの亀裂が生まれている。

われわれは普通の国が持っている主権や通貨、民主主義を取り戻したいだけ。しかしメディアは、反EUと言えば極右か極左というイメージを植え付けようとするのです。

英国の失業率は4%に下がり、逆にポンド安で外国の投資が流入している。他国で離脱の連鎖反応が起きては困るので、EU支持者たちは必死に足を引っ張っているのです。英国はEUへの拠出額の方が分配される額より多く、立場が強いのはEUだけではなく英国。それはフランスも同じです。

EU創設はいったい何をもたらしたのでしょうか。産業や資本の移転が促され、結果的に利益を得たのは億万長者や競争力のある企業。フランスなどでは貧困率が上がった。市民にはEUの恩恵がないのです。いずれEUは破綻する。英国の離脱が、歴史的に終わりの始まりとなるでしょう。

大手メディアはわれわれの主張を取り上げない。UPR(人民共和連合)のウェブサイトは仏の政党で最もアクセス数が多く、ユーチューブは毎回十万回以上は視聴されています。支持者は海外に広がり、国内では外国にルーツのある人が多い。大半は十代から三十代の若者です。職探しに苦しむ若い人たちが、われわれの元に集まっているのです。

さいたまクリテリウム開始前の新都心

ショップの方々とさいたまクリテリウムが開催される新都心までサイクリングに出かけた。午前9時前に着いたのだが、数時間待つとのことで雰囲気だけ感じて帰ってきた。50数キロの心地よいサイクリングであった。

埼スタにて

午前9時前の新都心

厳重な交通規制

氷川神社参道

大宮公園