月別アーカイブ: 2018年5月

「マハティール氏 捜査」

本日の東京新聞朝刊国際面に、マレーシア警察が、偽のニュースを流布した疑いがあるとして、9日投開票の総選挙に立候補しているマハティール元首相を捜査しているとの記事が掲載されていた。
立候補を届け出るためにチャーターした飛行機の前輪に不具合が見つかり乗り換えざるを得なかった事故について「意図的な妨害行為があった」と主張したマハティール氏に対し、虚偽の情報の発信を取り締まるフェイクニュース対策法に抵触するおそれがあるというのだ。

何とも背筋が凍るような記事である。インタネット全盛の時代に、このような前時代的な法律が存在しているのだ。日本もいつ真似するやもしれないので注意が必要だ。

4月4日付の朝日新聞の記事によると、次のように説明されている。

マレーシアで3日、「フェイクニュース」の発信者に最高50万リンギ(約1370万円)の罰金や6年以下の禁錮刑を科す対策法が成立した。言論統制の強化につながるとの指摘が国内外から出ている。

 上院が3日、賛成多数で可決した。新法は「悪意を持って全部、または一部が事実に反するニュース、情報、データと報告書を出版、流布した人」を罰するなどと規定。対象には外国人や外国メディアも含まれ、「フェイクニュース」の流布を財政的に支援した人も対象となる。何が「フェイクニュース」や「悪意」にあたるかという定義があいまいで、恣意(しい)的運用が可能と懸念されている。

『清須会議』

dTVのレンタルで、三谷幸喜原作脚本監督、役所広司・大泉洋・小日向文世・佐藤浩市主演『清須会議』(2013 東宝)を観た。
信長が暗殺された本能寺の変、秀吉が明智光秀を討った山崎の戦いの後の、織田氏の継嗣問題及び領地再分配に関する清須会議の内情を描く。大泉洋演じる羽柴秀吉が、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の3人を絡め取りながら会議のヘゲモニーを握っていく様子がユーモアを交えつつも史実に沿って展開していく。

「京大名物のタテカン消える?」

本日の東京新聞朝刊に京都大学が京都市の景観条例に従って、学生側に名物ともなっている「立て看板(タテカン)」の撤去を通告し、一部の学生側ともみ合いになったとの記事が掲載されていた。
「安全」や「景観」といった反対しにくいロジックを盾にキレイな環境を目指す大学当局と、表現の自由や政治活動の自由を訴える学生側の対立構造となっている。
大阪府立大学の酒井隆史教授(社会思想)は、京大のタテカン問題について次のように指摘する。

1980年代まで残っていた大学の自治という感覚が、90年代から2000年代前半にかけてどんどん大学当局による管理強化の影響を受けてなくなっていった。
(タテカンやビラ配りは)東京大、早稲田大、法政大などかつては学生運動が盛んだったところでもほとんど消えていった。

上智大学の中野晃一教授(比較政治)は、政治の右傾化と大学管理が一体化されていると指摘する。

改憲のスケジュールを本格的に進めるときに、邪魔になるのは報道機関や大学教授、学生から上がる反対の議論だろう。
政権にとっての雑音を抑え込む上で表面化した、統制の一場面かもしれない。

一方、酒井教授はさらに深読みし、「条例を守れ」という市の姿勢と「憲法を守れ」という護憲派の姿勢がルールの一律化という点で類似していると述べる。ルールの適用の厳格化だけを推し進めようとすると、それに反対する人たちが邪魔なだけの存在と感じてしまう。酒井氏は多様な見解がぶつかり合う場の保証こそが大学の存在価値だと述べる。

さまざまな実力行使や話し合いも含めて、構成員がぶつかり合いながらルールを形成する。かつて大学がその可能性を提供していたデモクラシーの感覚が、希薄だ。安倍首相が退陣しても、この管理強化の根を断たないことには、表現の自由を含めたさまざまな価値は守れないだろう

『義風堂々!! 直江兼続』

原哲夫・堀江信彦原作、武村勇治作画『義風堂々!! 直江兼続:前田慶次 月語り』(新潮社 2010)全9巻を読む。
実は上杉謙信の隠し子であったという大胆な仮説のもと、上杉謙信、上杉景勝父子に仕え、漢として義に生きた直江兼続の半生を描く。
漫画を読み慣れていないので、結構な時間がかかったが、上杉と北条の同盟や、謙信亡き後の御館の景勝と景虎の間で起こった御館の乱、信長や秀吉の人物像など大いに参考になった。