松田力『大人のための自転車通勤読本』(東京書籍 2008)を読む。
建築家代表の著者が、50代半ばになってから始めた会社まで8.5キロの自転車通勤の魅力や、サドルへのこだわり、はたまたお風呂での読書のやり方など自転車に纏わる四方山話をべらんめえ調で語る。
さらっと読み流していたのだが、35年以上前の学生時代に突然車のアクセル・ペダルが壊れてしまい、道端に落ちていた針金で修理して帰ったとのエピソードが印象に残った。著者はその経験から次のように述べている。
動くことのカラクリを理解した上で乗っていれば、どこに問題が発生し、どこをチェックし、どこを直せばいいのか、即座に判る。基本的な機構を理解しておくことの重要をその時身をもって実感したのだ。
ところが、何なんだ。今の車は、ボンネットを開けてみても何が何だかさっぱり判らない。コンピュータしかり、裏蓋を開けてみてもさっぱり判らない。ケイタイ電話もカメラも同じ。昔、好きだった分解の楽しみは今の子供たちは持ち合わせていない。当たり前だ、目覚まし時計ですら、分解したところでその機構は判らないのだ。まー世の中進んじゃったんだから、しょうがないと言えばしょうがない、としか言いようがないが、自転車にはまだその楽しみが残されている。全てのモノには理由があると思っている私の妄執を満足させてくれるのが自転車である。コンピュータ制御のない、中学で習う物理の知識があれば十分理解できる自転車の機構は、ハゲかかってきたオジさんの知的好奇心をまだまだ満足させてくれる最高のオモチャなのだ。
確かに身近な生活用具が悉くデジタル化してしまい、アナログな機械というと自転車くらいしか思いつかないのは事実であろう。