月別アーカイブ: 2013年6月

『インド対パキスタン』

西脇文昭『インド対パキスタン:核戦略で読む国際関係』(講談社現代新書 1998)を読む。
1998年5月に相次いで実施されたインドとパキスタン両国の核実験を受けて執筆された本である。
インドとパキスタンのイギリスからの独立以降の歴史から、カシミールの帰属の背景、両国の核開発の中心人物や経緯、インドが開発を進めているプルトニウム型(長崎型)兵器とパキスタンが実験を行ったウラン型(広島型)兵器の違い、今後の両国の関係に影響する中国と米国の外交戦略などが分かりやすく説明されている。特に、本論の中心テーマではないが、原子力発電と原爆の違いや、ウラン238からプルトニウムが生成されるプロセスといった科学的な内容がよく理解できた。

著者によると、パキスタンの核開発は大国インドとの対立関係上進められる消極的なものであり、また、インドの核実験も国境を接する中国に対する戦略の上であり、そして、その中国も米国との覇権の対抗上核開発を進めているとのこと。つまり、全て核の抑止力という危険な国策で繋がっているのである。さらに、著者は、その米国自身がソ連への対抗上パキスタンを支援したり、10億人のマーケットを米国が支配するためにインドの軍事開発を大目に見たりしているために、一地域の問題が国際関係にまで悪影響を及ぼしていると示唆する。
インドとパキスタンの対立と聞いても、日本人は遠い国の関係のように思うが、現実は、米国の核の傘の下にいる日本とは切っても切り話せない問題である。

トーマスタウンへ

家族を連れて、新三郷のららぽーとにある「トーマスタウン」に出かけた。
日曜の昼下がり、狭いフロアーに子ども連れの家族で芋洗い状態であった。
正直、施設はボールプールや、トーマスの乗り物、縁日のようなイベントなど、ショッピングモールにありがちな子どもの遊び場に毛の生えたようなものでしかなかった。しかし、スタッフさんの対応が大変丁寧で、子どもに対する説明や盛り上げにも熱意が伝わるような対応であった。
施設だけだとちょっと高いと感じざるを得ないが、スタッフの気遣いをも合わせると納得のいく内容であった。

『エルム街の悪夢』

276a1171

地上波で放映された、サミュエル・ベイヤー監督『エルム街の悪夢』(2010 米)を観た。
極めてオーソドックスな筋の通ったホラー映画となっている。丁寧に作られており、飽きることなく、最後まで楽しむことができた。

『奇跡のリンゴ』

201205270237791l_2

bandicam_20120528_111100802_2

bandicam_20120528_111109277_2

ワーナーマイカルへ、阿部サダヲ・菅野美穂主演『奇跡のリンゴ』(2013 東宝)を観に行った。
最初はコミカルな「失敗−苦労−成功ー感動」映画なのかと思っていたが、中盤からグイグイと主演の二人の名演技に引き込まれていった。
前半のお見合いや結婚式、新婚当初の様子はちょっと年齢のいった主演の二人にはちょっと厳しいのではと思いながら見始めた。しかし、後半に入り、子ども三人の父母として年齢相応の役になった途端に、突然輝きが放たれたように感じた。おそらくは30代後半の役柄なのであろうが、
映画を観ながら、10年近く前に妻と二人で見た菅野美穂さん主演の『Dolls』という不思議な映画を思い出した。そのときの記憶と画面の光景が入り交じって、菅野美穂さんと私の妻とは月とスッポンであるが、同じ三人の母親でもある自分の妻を見ているような気がしてくるような不思議な気がした。
やはりスクリーンに向き合うと同時に、自分の来し方行く末と向き合える映画館はいい。

『ケータイを持ったサル』

正高信男『ケータイを持ったサル:「人間らしさ」の崩壊』(中公新書 2003)を読む。
京都大学霊長類研究所で教授を務める著者が、サルの社会性や家族構造、群れの行動原理などの研究の見地から、人間の社会行動原理に分析を加えている。
週刊誌のタイトルと見紛うような、「マザコン進化史」「子離れしない妻と居場所のない夫」「「メル友を持ったニホンザル」「『関係できない症候群』の蔓延」「社会的かしこさは四〇歳で衰える」「そして子どもをつくらなくなった!」の6章で構成されている。
サルは基本的に群れから出ず、群れの中だけの生活で一生を終える。著者は最近の日本人もそうしたサルの生活スタイルに回帰していると結論づける。母子密着、子離れできない母、家庭的な会社のムードから逃れられない父、言語以前のコミュニケーションの終始する女子高生、親という責任を引き受けたくない若者などをサルの群れの原理から説明を加えている。途中比較行動学研究の調査データの話も出てくるが、公共的な世界に生きることで育まれる真の人間らしさの崩壊のあらましが分かりやく述べられていた。
久しぶりに、新書一冊を一気に読むという経験をした。目が疲れた。