月別アーカイブ: 2011年5月

『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』

稲泉連『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』(文藝春秋 2001)を読む。
高校を中退し、大検を経て大学に入った著者が、同じように働くことに戸惑いを感じている20代の若者8人に生い立ちから含めてインタビューを試みている。
不登校や転職を繰り返している若者でも、働く喜びや社会とつながっている実感が、前向きに生きることの原動力となっていることが分かった。また、学校教育 がそうした生きる労働から一番遠い場所であるという現実も突きつけられる。

『危ない間取り』

横山彰人『危ない間取り』(新潮社 2004)を読む。
戦前の日本では、居間が家の中心にあり、家族がそこで会話をし、お客さんを迎え、食事をとり、そのまま布団を敷いて寝室ともなった。家族や客が部屋を介し てつながり、家族誰しもが居場所を感じる作りになっていた。
しかし、戦後高度経済成長以後、「nLDK」の間取りがもてはやされ、狭い敷地でも部屋が多いことが良しとされた。しかし、個室が増えることで、子どもや 祖父母が家族と切り離され、家族の団らんが崩壊してしまう。著者は少年犯罪の具体例を挙げながら、家族構成、とりわけ子どもの成長に合わせた間取りのあり方を提唱する。

今日の東京新聞

本日の東京新聞の朝刊に10~30代の若者による「脱・反原発」のデモがブームという特集記事が載っていた。
その中で、高円寺でリサイクル店や飲食店などを運営する「素人の乱」代表の松本哉さんが紹介されていた。松本さんは、ツイッターなどを活用して先月10日 に高円寺で1万5千人が参加した反原発のデモの呼びかけ人の一人である。彼はインタビューに対して次のように答えている。

これまでのデモは強力なリーダーについて行くという感覚が強かった。でも3月11日以降、老若男女問わず、みんなが意見を言い たくて、参加し始めた。中東ではネット発のデモが大きな力になったんだから、日本も分かりませんよ。

確か、1995年にもフランスの核実験に対する反対運動が起き、既成の労働組合や市民団体によるお決まりのデモではなく、新しい若者によるデモが模 索されたが、長続きすることなくポシャってしまった。「シ、シ、シラク、シラクで白けて、カクジッケーン!」という当時斬新であったラップデモのシュプレ ヒコールのリズムだけが今でも頭の片隅に残っている。
ちょうど同じ頃に、既成の左翼運動に辟易し、自ら新しい運動を始めた松本さんの今後に注目したい。

『ものづくりに生きる』

小関智弘『ものづくりに生きる』(岩波ジュニア新書 1999)を読む。
大田区の旋盤工として長く働いてきた著者が、近隣のものづくりの現場を紹介しながら、そこで働く人たちの仕事へのプライドや生き甲斐を語る。決して分かり やすい文章ではないが、木訥と語る著者の実直な思いが伝わってくる。
特に印象に残った一節を引用してみたい。

工業製品には、個性があってはならない。これが工芸品や芸術作品なら、許されるどころか、個性はなくてはならない。着物や木工 家具のように職人が作るものも、個性が尊重される。着物や洋服を仕立てる職人も、家具を作る職人も、他の人とはひと味もふた味もちがったものを作ること に、心を砕く。しかし工業製品は、個性を求めないどころか、排除しなければならない。
それなのにわたしは、工場で働く人たちを職人を書いてきた。わたし自身は、コンピュータ機能をもった旋盤を使いながら、自分を旋盤職人と呼んでいる。
なぜか? 削るものは限りなく無個性なものをめざす。しかし、無個性なものを作るために、工場の職人たちは、どのような方法で、どのような道具を使うか イメージし、工夫する。ものを作るプロセスは、自由である。結果として、早く正確なものができればよい。それを作るプロセスでは、個性を発揮することがで きる。無個性なものを作るためにも、個性が大事だから、職人だといえる。
職人とは、ものを作る手だてを考え、道具を工夫する人のことである。
それをしないで、与えられた道具を使って、教えられた通りの方法でものを作る人は、単なる労働者にすぎない。あるいはもっと極端にいえば、単なる要員に すぎない。要員とは、いつでも他の人にとってかえることが可能な役割を担うような人をさして言う。
技術は作られたものに現われるが、それを作る人間の個性は、そのものを作る過程にもっともよく現われる。

『クリティカル進化論』

道田泰司・宮本博章『クリティカル進化論:「OL進化論」で学ぶ思考の技法』(北大路書房 1999)を読む。
私自身が学生時代愛読していた、秋月りす『OL進化論』の4コマ漫画を材料に、偏見や先入観に囚われず、「クリティカル」に物事を考える方法を丁寧に解説している。といっても小難しい話ではなく、占いや広告、うわさ話などにおいて、いたずらに周囲に流されず、きちんと事実を認識し、正確な現状から判断する癖をつけるべきだと、チェック形式で話が展開される。