月別アーカイブ: 2010年12月

『赤頭巾ちゃん気をつけて』

芥川賞受賞作、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中央公論社 1969)を読む。
日比谷高校から東大法学部へと進学した著者の経歴が色濃く作品に表れている。東京大学の安田闘争により東大の入試中止された1969年の冬が舞台となっている。
主人公の高校3年生の薫君のモノローグで話が展開していく。いわゆる戦後民主主義の団塊世代の最後となる1951年生まれの若者が感じていたであろう時代感の転換を絶妙に描く。
主人公の薫くんは次のようにつぶやく。

いまや、受験生は受験一筋に、そして次いではゲバ棒をとってすべてのインチキくさい知的フィクションを叩きつぶすというのが、ぼ くたち若者をとりまく時代の方向性らしいから。ぼくみたいなのは、だからこの奥さんの言うとおり、下からは学校群、上にはゲバ棒というまさにその間に「板 ばさみ」になった、なんとも馬鹿げたシーラカンスなのかもしれない。

また、下記の三島由紀夫氏の帯の書評が良かった。文語体に驚く。

過剰な言葉がおのづから少年期の肉体的過剰を暗示し、自意識がおのづからペーソスとユーモアを呼び、一見濫費の如く見える才能 が、実はきはめて冷静計画的に駆使されてゐるのがわかる。「若さは一つの困惑なのだ」といふことを全身で訴へてゐる点で、少しもムダのない小説といふべき だらう。

「電車とバスの博物館」

家族を連れて、東急田園都市線の宮崎台の駅に併設されている「電車とバスの博物館」に出かけた。
長女とは違って、長男は、「アンパンマン」やら「いないないばあ」といったキャラクターものにほとんど興味をしめさない。また、男の子が好きそうなクルマや電車のキャラクターには目も向けない。その代わり、トミカの精巧なミニカーのカタログや、実際の車や電車を見つめる目線は並々ならないものがある。
「博物館」でも子どもの目というよりも、研究者の目といった雰囲気であった。

『この世には二種類の人間がいる』

中野翠『この世には二種類の人間がいる』(文藝春秋 2007)を読む。
文藝春秋社のPR誌「本の話」2003年6月号~2007年3月号に連載されたコラムである。「『とっとく』と言う人と『捨てろ』と言う人」や「『ここ一 番』でうまくやる奴としくじる奴」といったように、人間を2つのカテゴリーに二分し、自分自身や、友人、芸能人、政治家などについてあれこれと論じるコラ ムである。最後に筆者は次のように述べている。

「この世には二種類の人間がいる」というタイトルをつけたけれど、ほんとうはそんなふうに思っていない。看板に偽りあり。たった 二種類の分類でおさまるはずがない。人間はもっともっと多彩だし曖昧だし混沌としている。そもそも私は人を評するのに、「-タイプ」「-系」「-派」「- 族」といった言葉を濫用する人は好きになれない。人をできあいの分類法で見て、勝手にどうこうとキメツケたり、型にはめたりして、「すべてあなたのことは 把握している」といった顔をされるのは、あんまりうれしいことではないものね。

ミラージュからトッポへ

本日、11年振りに車を乗り換えた。
三菱ミラージュから、三菱のトッポに切り替えることとなった。
11万6千キロ以上走ったミラージュであるが、エンジン自体には問題なく、まだまだ乗ることができる。しかし、車検も近く、エコカー減税も実施されているということで、思い切って乗り換えてみた。新車を購入して嬉しいという気持ちよりも、初めて購入した車で愛着があったのに手放ししまって残念という思いの方が強い。

八ッ場ダム

今度、愛車ミラージュを乗り換えることになったので、不休続きの多忙を縫って最後のドライブに出かけた。
昨年の民主党が政権を取った際に、ニュース番組を賑わせた八ッ場ダムへ向かった。

昨年の9月には橋脚のみが建ったまま工事が中断され「十字架」とも揶揄されたが、見事に完成していた。

川原湯温泉