月別アーカイブ: 2009年11月

東京新聞の記事より

昨日の東京新聞夕刊に、哲学者内山節氏の「時代を読む」と題したコラムが掲載されていた。
その中で、内山氏は、誇り高い労働とは、自己満足ができる労働のことではなく、「人々に尊重される労働、他者から価値を認められる労働のこと」であると定義づける。そして、現在の日本は価格や商品生産の効率化ばかりが議論され、労働そのものに対する尊重の意識が薄れていると述べる。「他人の労働をさげすみながら展開する社会は悲しい社会だ」と内山氏は嘆く。なぜなら、「自分の労働の価値を認めてもらえないなら、人間は根本的なところで不幸」であり、「こういう社会で働くことが、生活や自分の社会性を維持するための手段とはなっても、人生の目的にはならなくなってしまう」からである。

11月23日の勤労感謝の日は、戦前の新嘗祭の宗教性を糊塗するために化粧直しを施して作られた祝日である。しかし、春のメーデーと合わせて、労働の持つ意味、労働を通じた人生を考える機会としてよい時期に設定されていると思う。

 労働は人間の生命活動である。この生命活動と自然の生命活動によって、私たちの社会はつくられている。この生命体のなかで暮らしていると感じられる社会をつくらないと、お互いの労働を尊重しあう社会も生まれてこない。
雇用問題という現実的な課題の解決策も急ぎながらも、しかしそれだけですべてが終わるわけではないと言いつづける勇気を、私たちの社会はもっていたい。なぜなら、根本的な課題を忘れることは頽廃だからである。

また、本日の東京新聞朝刊に、武蔵野学院大学准教授の木暮祐一氏の文章が掲載されていた。
木暮氏は携帯電話研究家として知られ、1000台超のケータイコレクションを持ち、携帯電話情報サイト「携帯24」の編集長などを経て、今年の4月から現職に就いた異色の経歴の持ち主である。

「通信インフラ(基盤)」として始まったケータイは、インターネット接続サービス導入で、「情報インフラ」となり、さらに通信とは無縁な財布代わりにもなる「生活インフラ」となった。次は、あらゆるサービスを利用できる入り口としての「社会インフラ」となっていくだろう。

木暮氏は、ケータイの成長の方向性について上記のように述べる。日本の大学では工学部を中心とした情報関連の学科にケータイなどの情報通信技術を学ぶ学科がある。しかし、近いうちに新聞学科やマスコミ学科と同じように、経済学部や社会学部に「ケータイ学科」なるものが生まれてくるのは必至であろう。

深夜のドライブ

今日は、深夜に一人で来し方行く末を考えながらぶらぶらとドライブを楽しんだ。
思えば遠くへ来たもんだ。大学を卒業して埼玉へ越してきて10年以上の時間が過ぎた。この10年を振り返りながら、来年4月以降の生活を占いながら、行く当てもなく、地図も全く見ずに、幸手からただ真っ直ぐ南を目指して走った。新4号バイパスから越谷レイクタウンの脇を通り、八潮を通り越し、綾瀬、小菅、本所、浅草、南砂と、まさに私自身の人生のごとく市街地を迷走していった。

ふと気がつくと工場の入り口にぶつかって行き止まりになってしまった。仕方なくUターンして少しうろうろしていたところ、目の前にとてつもなく大きな風車が回っているのでびっくりした。改めて付近の看板を見ると若州海浜公園というところであった。そこで車を少し止め、風車のある公園に足を踏み入れた。数十メートルの風車がぐるんぐるん回っている姿を下から見上げた。真夜中に一人で、その異様な光景を見つめていると、宇宙空間を旅する「スペースコロニー」に迷い込んだような錯覚を覚えた。

帰り道は、湾岸線から首都高でずっと帰ってきた。普段はあまり通らない5号池袋線を北上した。初めて美女木JCTから大宮線に乗った。与野から新都心の地下を抜けて、見沼田んぼまで一気に走り抜けた。
メトロポリス東京から、郊外の里山に一気にワープしてきたような不思議な感覚に襲われた。

5時間にわたるドライブが無事終わり、家族が寝静まった家に辿り着いた。
そして、私の人生の寄り道、脇道もそろそろゴールが近づいているようである。ゴールを前にして転倒しないように注意したい。

初代のEU大統領

19日夜(日本時間20日未明)に、初代のEU大統領(欧州理事会常任議長)にベルギーのヘルマン・ファンロンパイ首相(62)、外相(外交安全保障上級代表)に英国元上院総務のキャサリン・アシュトン欧州委員(53)らが、それぞれ欧州連合(EU)の緊急首脳会議で選出されたとのニュースが流れた。

この麻雀の役のような名前のベルギー首相に決まった背景には、イギリスの主導権を抑えたいドイツやフランスの影響があったようである。このニュースを聞いて、地域統合のパワーバランスにおける「大陸」の強さを感じた。鳩山首相も「東アジア共同体構想」を掲げているが、EUにおけるイギリスと同様に、島国が主導権を握ることに対して大陸の国家は潜在的に不快感をしめすのではないだろうか。
歴史を紐解いてみても、時の日本政府のアジア政策において、日本は島国であるという決定的な視座が欠けてきた。「東アジア~」もEUをじっくりと研究して、経済や政治だけでなく、言葉の壁、歴史認識の壁、宗教対立の壁を乗り越えて、それぞれの地域が独自性を維持しながらも、環境や平和を軸に共存できる道を模索するべきである。その道はEUをじっくりとよりも長く困難であろう。

告知

以下、私の友人が出演するイベントの告知です。

ホームレス問題の授業づくり全国ネット

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Meet The Homeless People!
教材DVD“「ホームレス」と出会う子どもたち”
完成記念上映&トークライブ
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「ホームレス」ってなんだろう? どんな暮らしをしているの? どうして「ホームレス」になるんだろう?
そんな子どもたちの疑問に応え、ホームレス問題を理解するための「教材用DVD」が、ついに完成しました!
路上生活に追いつめられた人々への差別や偏見、子どもたちの襲撃やいじめをなくすため、まずこの映画を通して”「ホームレス」と出会う”ことから始めませんか?

【東京会場】
2009年11月21日(土)  14時~17時
早稲田奉仕園You-Iホール
(東京都新宿区西早稲田2-3-1 電話03-3205-5411)
アクセスについては早稲田奉仕園ホームページをご覧下さい。

トークライブ出演
飯田基晴(『「ホームレス」と出会う子どもたち』プロデュース)
北村年子(ホームレス問題の授業づくり全国ネット共同代表)
鈴木隆弘(清和大学教員)
清野賢司(東京都教員/NPO法人TENOHASI事務局長)

本日の東京新聞夕刊から

本日の東京新聞夕刊一面のコラムに、三菱東京UFJ証券チーフエコノミスト水野和夫氏の文章が寄せられており、興味深く読んだ。

現在のゼロ金利解除の条件としてデフレからの脱却が必要で、再び物価が下落している今、利上げを急ぐべきではないという現在の政府や日銀の考え方に対して、著者は、ゼロ金利による円安誘導による従来の加工貿易を基本とした日本の社会構造そのものに異を唱えている。

日本は1995年9月に、公定歩合を0.5%に引き下げて以来14年以上、事実上のゼロ金利が続いている。本来ゼロ金利下であれば、市中の通貨供給量が上昇し、インフレになるというのが経済の公式であった。しかし、日本の消費者物価指数は98年度から下落に転じ、09年度上期は1.7%減とマイナス幅が拡大されている。食品とエネルギーを除くと99年度から10年間も下落が続いているという。

ゼロ金利がもたらす円キャリー取引によって海外へ流れ、金融商品化した原油などの資産価格が高騰し、日本から所得が95年以降88兆円も流出したという。そこで筆者は、ゼロ金利でデフレから脱却するのは困難であるとし、デフレ下でも利上げが必要だと主張する。

また、同じ夕刊の文化欄で、作家高村薫さんは、2007年に日本の相対的貧困率が、経済協力開発機構(OECD)加盟の30カ国中、4番目に高い15.7%だったことに触れ、貧困率を下げることが鳩山政権の当面の急務であると述べている。そして、家計への直接給付や失業者支援の拡大など、生産性とすぐに結びつくわけではない予算の再配分こそが今後の国民生活の維持に不可欠なものだと結論づける。

二者の意見を考え合わせるに、現在のゼロ金利政策は、決して庶民の生活を潤すものではなく、ほんの一部の輸出産業型大企業を擁護するものでしかない。やはり、「異常」なゼロ金利は早々に解除し、緩やかに円高を促していくことで、赤字国債の金利を抑え、エネルギーや食品の値下げといった形で、庶民への還元を図るべきであろう。