月別アーカイブ: 2009年8月

パンフレット研究:帝京大学

1931年創設の帝京商業学校を母体として、1966年に4年制の大学として発足した新設校である。親族による大規模なグループ経営を敷いており、巷では「学費が高い」と揶揄される学校でもある。パンフレットの学校一覧を読むと、四大だけで帝京大学、帝京平成大学、帝京科学大学と3校、それに短大が4校、高校10校、幼稚園8校など、全国規模で学校が展開されている。あまりに学部学科が多いので、働いている職員も一体感が持ち得ないであろう。また、学校名も「帝京短期大学」「帝京大学短期大学」「帝京学園短期大学」とあり、大変紛らわしい。
パンフレットの中で、文学部の説明の一節が格好良かったので紹介したい。

文学部とは本来”Faculty of Letters”の翻訳で、文字で書かれた全ての事柄を学びの対象としています。あまりに漠然としているように思えますが、結局それは読み、考え、書くという我々の知的活動の最も基本的な営みを鍛えていく作業です。

今日のテレビ

今日は一日中、テレビでも新聞でも、インターネットの掲示板においても、女優酒井法子容疑者の失踪、逃走、そして逮捕についての報道で持ちきりであった。報道によると、酒井法子容疑者は自宅で覚醒剤を常用していたようで、体内より検出されうのを免れるために警察の捜査を攪乱させながら逃走していた模様である。
酒井法子さんと言えば、ちょうど私の世代‐30代の男性‐が10代だった80年代後半の頃のトップアイドルである。その後も活躍を続け「ママドル」としても引っ張りだこであった。そうした「清純派」「家族愛」のイメージが脆くも崩れたところのギャップがマスコミや視聴者の関心を集めた。
しかし、1995年のオーム真理教の麻原代表の潜伏先探しゲームのような過剰な報道が気になった。確かに大きな事件であるが、あまりに集中的に報道するため、今週前半の裁判員制度についての報道が吹っ飛んでしまった感がある。

『勝恋(かちごい)』

加藤鷹『勝恋(かちごい)』(バウハウス 2006)を読む。
AV男優で有名な著者が、雑誌やテレビ、インターネットを通じて女性から受けた、恋愛相談やセックスの悩みについての誠実なアドバイスがまとめられている。

AVの経験からやらしい性的なコメントが多いのかと思ったが、至って真面目に女性の悩みを受け止めている。加藤氏は、自分をアピールすることや着飾ることよりも、どんな場面でも相手を気遣う心をもって自然体でいることが大切だと述べる。そして特別な相手にこそ、あえて自然体に振る舞うことで、相手に「自分だけに本当の姿を見せてくれる」という感情を持たせることが恋愛の勝利のテクニックであると強調する。
一般の女性は、明るく話し上手で、スタイルも抜群で、ファッションセンスの良い女性に憧れる。一方、一般の男性は、素直でおとなしく、少しふくよかで、制服みたいな質素で清潔感あふれる服装の女性に惹かれがちである。この埋まりそうで埋まらないギャップこそが恋愛にほどよいスパイスとなるのであろう。

『創価学会』

島田裕巳『創価学会』(新潮新書 2004)を読む。
創価学会は、極端な報道コントロールをするため「怪しげな宗教団体」「公明党の裏に蠢く集票集団」といったレッテルが付きまとう。
著者は批判一辺倒ではなく、かつ取り込まれないよう中立的な立場で、巨大宗教組織である創価学会の分析を試みる。しかし、著者が過去のトップのコメントなどを分析すればするほど、創価学会なる組織は宗教という後光を巧みに利用した、現世利益を第一義的に追求する相互扶助組織だという側面が明らかになってくる。戦前の農村の「結」や「講」といった極めて合理的な組織となっている。
著者は次のように述べる。

いつの間にか、日本の社会には、強固な相互扶助組織、つまりは巨大な村として、創価学会だけが存在するという状況が生まれている。創価学会と長く対抗関係にあった労働組合も衰退し、相互扶助組織としての力を失っている。企業にしても、終身雇用を核とした日本的経営を維持することが難しくなり、社員の生活を丸抱えする村的な性格を失いつつある。相互扶助組織として生き残ったことが、現在の創価学会を支える最大の力となってい る。自民党が公明党を切り捨てられないのも、公明党の背後に、創価学会という巨大な村が存在しているからなのである。

『4TEEN』

石田衣良『4TEEN』(新潮社 2003)を読む。
銀座や築地の裏手に位置し、「もんじゃ」で有名な月島に住む4人の中学生グループの青春の一コマを描く。月島は、昔ながらの長屋と超高層マンションが同居 する不思議な空間である。ちょうど昭和と平成が、言い換えれば大人時間と子ども時間が同時に流れる空間といってもよい。作者は、その月島で大人世界と子ど も世界の端境にいる中学生を描く。
子どもの世界の中で急に大人びろうとする中学2年生の心理が、背景の月島と妙にマッチしており、純文学の薫りのする作品であった。