月別アーカイブ: 2009年3月

『感染列島』

kansenretto.movie

子どもをお風呂に入れて、ララガーデンへ映画を観に行った。
映画館のロビーで『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』が公開されていることを知り、懐かしさのあまり観てみたかったが、残念ながら9時を回っていたので子ども向けの上映時間には間に合わなかった。思えば旧作の『のび太の宇宙開拓史』を観たのは小学校2年生、「コロコロコミック」の映画特集を何度も読んで期待に胸を膨らませて映画館に足を踏み入れたものだ。

結局時間の都合で、妻夫木聡主演『感染列島』(2009 東宝)を観た。テレビでこれでもかと宣伝している作品だったので、多少期待して座席に座った。観客は私を含めて3人だった。
物語の展開などテンポ良く、飽きることはなかったが、わざわざ大きいスクリーンで観る作品でもなかったというのが率直な感想だ。親子の愛情や、医師の責任、主役の妻夫木聡演じる松岡医師の過去の恋愛など、様々な話が盛り込まれており、テレビドラマとして見るにはかなり完成度が高い作品となっている。しかし、主役の妻夫木聡周辺を巡るドラマに焦点が当たりすぎており、作品の主要テーマである国家全体を揺るがす感染爆発の危機があまり伝わってこなかった。
TBSが制作しているので、役者の都合などあるのだろうが、感染を防ぐための地域封鎖や内閣の対応、行政レベルの混乱など社会的な観点からの演出が欲しかったように思う。

『永遠の仔』

天童荒太『永遠の仔』(幻冬舎 1999)を数日かけて読んだ。
久しぶりに読書しながら涙が溢れてきた。しばらく泣くということもなかったので、すがすがしい涙であった。
原稿用紙2400枚近い長編であるが、推理小説のような展開と、人間存在の孤独にとことん向き合おうとする登場人物のやりとりに、家族や仕事そっちのけで引き込まれてしまった。私の読書経験のベスト10に確実はいる作品である。この作品を読みながら心に描いた風景は、しばらく胸の奥に残り続けるであろう。

人間は一人では生きられないし、一人で生きようとすることは他人を認めないことである。そして他人を認めないということは、他人と繋がっている自分そのものを否定することである。だから人間は生きている、ただ生きているそれだけで、他人と関わらざるを得ず、自分を肯定することである。ただ生きているだけで、過去の自分を受け入れ、現在の自分を許し、そして将来の自分を信じることになる。
作者は生きることのすばらしさと力強さをこれでもかと読者に訴えかける。
情緒障害の養護学校を出て叔父夫婦の養子になったジラフに、養母が次のように話しかける場面が印象に残った。

梁平ちゃん、わたしたちと、ずっと距離を置いていたでしょ? 責めてるんじゃないの。いまでは、思うのよ。梁平ちゃんが、距離を置いていたのは……なじめないってこと以上に、わたしたちを傷つけるのがいやで、なるべく離れていようとしたんじゃないかって……
(中略)
同じようにね。好きな人とも距離を置いてしまうことが、あるんじゃないかと思ったの。でも、気をつかいすぎるあまり、より深く、相手を傷つける場合もあると思うのよ。結婚しなくても、家族を持たなくてもいい。でもね、できれば、一緒に生きる相手は見つけてほしい。相手を認めることと、相手から認められることが、生きてゆくには、大事だと思うもの。ひとりで踏ん張ろうとし過ぎると、自分はもちろん、やっぱり誰かを傷つける気がする。すべてを、一人で背負って、解決しようとするばかりが、大人のやり方じゃない。人を信頼して、まかせたり、まかせられたりできるのも、一つの成長かなって思うし、ゆっくりでもいい、自分を開いてみたら、どう……人にすべてを託して甘えることを、自分自身に許してあげたら、どうかしら……

本日の東京新聞夕刊から

本日の東京新聞の夕刊に関西学院大学教授を勤める、精神科医野田正彰氏のコラムが掲載されていた。
野田氏は現在東京大空襲訴訟の被災者の精神的医学診察に携わっており、そうした晩年を迎えた被災者に、自責や抑うつの症状が表れはじめていることを指摘している。一部彼の文章を「写経」し心に留めておきたい。

 この二十数年、私はホロコーストを生き残ったユダヤ人、旧日本兵による長期にわたる死の恐怖を伴う性暴力を受けた海南島や山西省の中国人女性、日本へ拉致された中国人捕虜、戦時二百万人餓死を生きのびたベトナム人などの診察を通して、「晩年における破局的体験への過去」現象に気付いてきた。
近年、戦争体験者が老いて生存者が少なくなるにつれ、過去の話を聞いておこうという動きが出ている。だが戦場にあった兵士たちはいざ知らず、一方的に被害を受け無力だった人びとは、戦後六十年たった今こそ、苦しんでいるのである。東京大空襲の被害者、そして日本各地の空襲被害者は、戦争被害者受忍論によって、自らの不幸を公的に悲しむ道を閉ざされてきた。運が悪かったと、私的に憾むしかなかった。
東京大空襲では十万人以上が亡くなったのに、いまだ遺骨を慰霊する独立施設さえ造られていない。歴史を語っているのではなく、今まさに悲しみ苦しんでいる人びとがいる。彼らを分断し、共に悲しむ会話を閉ざしてきたのは、戦後を生きている私たちである。
老いて殺されていった人に何もできなかったと自分を責めている被害者は、反省しない社会に代わって、なお苦しみを背負っているのではないだろうか。