ワーキングプアやネットカフェ難民などの貧困の問題が巷間語られるこのご時世、小林多喜二の『蟹工船』がブームになっているらしい。私が学生時代に卒論でプロレタリア文学を研究していた時には想像もしなかったことである。そこでブームの先端を行く私としては、小林多喜二の次にくる作家は誰かと考えた。そこで思いついたのが石川啄木である。
「はたらけど はたらけど 猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手をみる」という歌に代表されるように、ズバリ貧困をテーマとした「現代版貧窮問答歌」の歌人というイメージが私の中にあった。しかし、
そこで、古谷綱武『石川啄木集−上−』(新潮文庫 1950)を読んでみた。貧乏歌人というイメージは脆くも崩れていった。むしろ青春歌人とでも
特に次の歌が気に入った。
あたらしき心をもとめて
名も知らぬ
街など今日もさまよひ来ぬ
この歌の末は「来ぬ」と完了形で終わっている。ここは今日もさまよってしまったという完了で終わるべき歌である。現在形でも過去形でも駄目である。現代日本語には、
最近、身も心もぼろぼろで精神的にあっぷあっぷなので、文章としてまとめることができない。なので、ここで終了〜〜。