毛利子来『あかちゃんのいる暮らし』(筑摩書房 1983)を読む。
小児科医の専門的な見地から、ゼロ歳児の子育てについて、親が辛いと感じる育児は決して子どもに良い影響を与えないという考えのもと、ほどほどの子育て、楽しい子育てを提案する。
その中で、母親は他者がつけ入る隙のないピュアな母性愛を持つ存在であり、母親が子育てに全責任を持つのは自明のことだとする現代社会のあり方そのものに毛利氏は疑義を呈する
産みの母親が密着して赤ちゃんを育てるスタイルは、歴史的にみても国際的にみても、人類に普遍的なものではありません。むしろ大家族が共同して育てたり、母子の接触が少なかったり、里子に出したりしていた期間の方がずっと長かったようです。現代でも、集団保育や父親の関与の強い社会は世界に広くみられます。(中略)いま、母親が働きたく、あるいは働かねばならぬ事情で子どもを他人に預けるのは、そうした共同体の崩壊がもたらした核家族化のなせるわざでしょう。それを「母性愛の喪失」といって非難するのは、女を社会に生きる人間としてみていない男優先の思想からだと思います。そうでなくても「生産性がより高い」と認識される男性労働力を家庭で修復し、次世代の労働力である子を育てる機能を女性に押しつけようとしているところからきているにちがいありません。