私自身が現在養護学校に勤務しており、学校を卒業した後の生徒の生活の様子を実地に知るともに、生徒の一生涯にわたる支援のあり方を探りたいと思い、我孫子市立の知的障害者更生施設あらき園で13日間の現場実習に臨んだ。仕事とやり繰りしながらの実習は大変きついものであったが、無事に終えることができて、ほっとしたというのが一番の感想である。
2年ほど前から、これまでの「障害の程度等に応じ特別な場で指導」の体制が組まれる特殊教育から、「障害のある児童生徒の教育的ニーズを的確に把握し、柔軟に教育的支援を実施」する特別支援教育への移行が特殊教育諸学校で始まっている。文科省の打ち出す特別支援教育は、利用者一人一人のニーズに応じた「個別の支援計画」を作成し、乳幼児期から学齢期、そして、青年期、老年期に至る生涯一貫した支援体制の構築を目指すものであり、学校と福祉、医療等の関係機関との連携・協力が必要不可欠だとされている。私が勤務する学校にもレスパイトサービスの業者が生徒の送迎を行ったり、補装具点検や自立活動訓練などでPTやOTの方との連携も徐々にスムーズなものになっている。しかし、あくまで現在在籍している生徒についてのみで、卒業後の入所通所の施設との連携はまだまだ進んでいない。
そして、実際に通所型福祉施設で実習を行う中で、学校機関と福祉施設の連携の難しさを改めて突きつけられた。特に実習先のあらき園は千葉県立我孫子養護学校の隣に位置しているにも関わらず、全く連絡を取り合っておらず、昨年度学校を卒業して入所した利用者の情報すら共有されていない。養護学校卒業生の簡単なプロフィールが書かれたA4一枚の「個別の教育支援計画」が送られてきているのだが、全く活用されていなかった。この結果は残念なものであったが、学校と施設の壁の厚さを改めて知るよいきっかけとなった。
また、公立の施設の限界も色々な場面で感じた。確かに公立の施設は費用も安価で、交通の便に恵まれ、一度入所すれば死ぬまで面倒を見てくれる所である。しかし、公立であるがゆえに民間の福祉サービスとの連携も今一歩不十分である。また、市町村の枠を跨いだ他の市町村や国、県の機関との連絡調整も動きがにぶい。この公務員全体に蔓延する内向性は一朝一夕に解決するものではないが、加速度的に進む少子高齢化、居宅をベースにした地域福祉の流れに対して、特に官の側の柔軟な対応の変化が求められる。
今回は重度の自閉症やダウン症の障害を抱えた利用者が多数通う知的障害者更生施設に行ったのだが、残念ながら養護学校に比べ日常生活プログラムに工夫が足りないと正直感じた。陶芸や農芸など利用者のニーズに応じたプログラムが用意されているが、流れ作業的に職員が利用者に対して課題を与える姿勢が目立ち、利用者が心から楽しんで参加している様子は見受けられなかった。楽器を用いて一緒に歌や音楽を楽しんだり、小道具を用いてのダンスやゲームなど利用者と職員が共に楽しむような活動を織り交ぜていけば施設全体の雰囲気も変わるだろうにと思った。また、逆に私自身が惰性に流されて仕事をしていないだろうかと反省する契機ともなった。人に関わる仕事である以上、どんな利用者であれ、どんな施設であれ、人を惹きつけるだけの「芸」を見つけ、磨きをかけていきたい。
学校の教員は、療育手帳や支援費などの金銭面や生涯を見通した長期的な福祉が見えていない。また、施設の職員には、利用者の興味関心を高めて能力を伸ばそうとする教育的工夫が足りない。日本では長い間、文部科学省と厚生労働省の縦割り行政の悪弊が続き、現場レベルでも養護学校と福祉施設の連携が断たれたままであった。また今後においても、国家行政のレベルで教育と福祉の連携は期待できそうにない。それならば、現場における人的交流の促進が何よりも求められる。学校と施設の合同の行事や交流会を増やしたり、少なくとも半年単位で養護学校と福祉施設の職員の相互の長期研修制度を創設するなどして、学校の教員と施設の職員が気楽に酒を酌み交わす場をつくる必要があると感じた。そうした酒の席における議論や雑談の中に教育と福祉の垣根を取っ払う新しい特別支援教育の可能性が詰まっているはずだ。