月別アーカイブ: 2003年6月

『私は闘う』

野中広務『私は闘う』(文春文庫 1999)を読む。
単行本は1996年に刊行されたもので、ちょうど村山政権から橋龍政権成立までの陰の演出家として足跡を追ったものだ。野中氏は今や反小泉内閣の急先鋒であるが、自民党の野党時代から自民党を陰で支えた中心人物である。確かに野中氏には巷間伝えられる大きなビジョンがない。政治を社会を経済をどのように導いていくのか方向性を明らかにしない。しかし彼はオウムを叩くのは全て正義という風潮が強い95年に、松本で冤罪の罪を着せられた河野さんに自治大臣国家公安委員長として率先して謝罪をした。また村山政権下では内閣の一員として「歴史を教訓にいわゆる平和への決意を新たにする決議」いわゆる「不戦決議」や従軍慰安婦基金、原爆被爆者援護法、水俣病患者の各団体と企業・国との和解など社会党的政策の実現に全力を尽くす。1994年の暮れには中東でのPKO活動をめぐり、「カンボジアでは小銃が、モザンビークでは機関銃が問題になった。その次はそれ以上の装備になり、かつての時代のような危険な道をたどる」と発言している。常に権力の大勢にブレーキを掛けようとする自らの政治的スタイルを彼は次のように説明する。

戦前の体験から私は、一色に束ねるということに対して生理的に反発するようになっていたのである。一色に束ねられた組織は、必ず間違いを起こす。迎合しては駄目だ。自分の頭で考えなければ、こうした私の組織に対する考え方は、その後一貫して変わっていない。だから京都の蜷川府政へ挑戦したのだし、経世会でも、小沢さんと戦うことになったのだと思う。

まさか彼自身の心に未だに「小沢憎し」の気持ちが働いているとは思えないが、組織に属しながら組織に従わないという生き方は長い目で考えればどのような組織においても必要な人物であろう。いわゆる自民党的なもの、共産党的なもの、引いては付和雷同的な、「同じアホならおどらにゃ損」といった日本人的なものの限界を見ようとする彼の姿勢は、その主義主張はさしおいて一目置かれるべきであろう。

『中坊公平・私の事件簿』

中坊公平『中坊公平・私の事件簿』(集英社新書 2000)を読む。
いわずと知れた住専、整理回収機構の社長を努めた弁護士である。彼を評する言葉として「現場主義」という語がつとに有名であるが、ビラを撒いたり、座り込みをしたりと、弁護する人間と共にあろうとする姿が伺われた。当番弁護士制度の普及に精力的に活動したり、豊田商事事件では元社員のすでに収められた所得税まで取りかえすなどその活動は意欲と行動力に溢れている。これから司法を目指すものに是非読んでほしい本である。

『二重スパイ』

本日封切りされたキム・ヒョンジョン監督映画『二重スパイ』(2003 韓国)を観に出かけた。
『マトリックス・リローデッド』と同時に公開されたためか、残念ながら、館内の観客は疎らであった。
背反する国家と愛情に悩む主人公の姿とスパイ映画にありがちなモチーフであったが、民族意識と統一の問題について少し考えている時期だったので楽しめることが出来た。70年代後半から80年代にかけて日本が一定の平和を謳歌している時期に、峻烈な同民族同士の憎しみ合いを強制されてきた民族の悲哀を改めて実感した。前作『JSA』が友情と国家というテーマだったのに対し、今回は愛情と国家であったためか、陳腐な恋愛映画の雰囲気が根底に流れてしまったのは残念だった。韓国脱出後のラストシーンはほぼ展開が読めてしまった。

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『読書通』

ハイブロー武蔵『読書通』(総合法令 1999)を読む。
読書が単に知識を得るためのものではなく、人間関係の機微を読み取る想像力が養われ、生活の一部となることで生活にリズムを与え、引いては人生を豊かなものにするという主旨をやたらにゴリ押しする内容である。その主張自体は分かりやすいものなので異論はなかったが、大東亜戦争での日本軍賛美や選民思想的な発言が随所にあり大変読後感の悪い作品であった。著者自身が敬愛する作家として渡辺昇一や小室直樹、司馬遼太郎等が挙げられている点で内容は想像つくであろう。

『M&A革命』

浅井隆『M&A革命:企業の命運を制する情報戦争』(第二海援隊 1999)を読む。
M&A(mergers and acquisitions)とは、日本語に訳せば合併と買収のことである。特にアメリカの熾烈なM&Aの実態ー病院やマスコミもその対象となるーを引き合いに出しながらも、ボーダーレス化が進めば進むほど、逆に個々の企業文化のオリジナリティが問われると筆者は述べる。株式交換、営業譲渡などの実務的な話しは要を掴めなかったが、会社が人生の拠り所と考える向きの多い日本でも、M&Aは増えこそすれ減ることはないことを実感した。しかし日本企業の「経営体質改善」の前提として、アメリカやヨーロッパの企業は「狩猟民族的気質」であり、日本企業は「農耕民族的気質」であるとした論はいささか古すぎる感が否めなかった。