月別アーカイブ: 2002年12月

『ピアニシモ』

久しぶりに面白いと断言できる小説を読んだ。
ひとつは辻仁成『ピアニシモ』(集英社文庫 1990)である。
すばる文学賞を受賞したこの作品は辻仁成の処女作である。中学3年生の男子生徒が内面にもつ暴力性・衝動性が巧みに描かれている。青春ドラマに付きものの激しい文体ではなく、淡々とエッセー風に話は展開していく。しかしその淡白さが都会生活の中学生のフラストレーションをうまく醸し出していた。また島田雅彦の解説がそのままこの作品をうまく評している。

処女作には締め切りがない。締め切りがない作品はとにもかくにも何かを信じて書くしかない。自分の才能を? あるいは自分の成功を? 世間に対する自分の悪意を? そうした信念は別に誰のお墨つきももらっていない。いうなれば、全く根拠のない信念である。処女作が後続の作品に較べて輝きを放つのは、一つにはその根拠のない信念の強さゆえである。

島田氏はこのように述べるが、私も同感である。辻氏の以後の作品を読んだことはないが、おそらくこの『ピアニシモ』の持つ勢いを越える作品を生み出すことは難しいだろう。決して彼の才能を疑っているのでなく、それほどこの作品の放つ「輝き」は際立っている。

『私立中高一貫校しかない!』

井上修『私立中高一貫校しかない!:教育階層化時代のかちぬき方』(宝島新書 2001)を読む。
私立中高一貫校というと東大合格者数を競う進学校のイメージしかなく、公立学校のゆとり教育との対比で括られていたが、90年代後半以降大きく様変わりしているということだ。著者は特に首都圏を中心に、「戦後、ともかく勉強して良い大学に入れば、良い暮らしにありつける、つまり努力次第では階級移動が可能」という大学進学を第一とした「投資型教育」から、「楽しみながら、勉強もし、そして今の良い暮らしを維持してほしい」という「消費型教育」に発展しつつある現状を指摘する。受験にもそれほど苦労をしなかったポスト団塊の世代が親となり、子供にもゆとりを求めているのだ。しかしこれには地域差があり、都心部や田園都市線沿線ではこの傾向が顕著であり、常磐線沿線の千葉、埼玉地域では「投資型」の教育がまだまだ人気があるそうだ。「公立・私立」や「管理・自主」という教育的概念ではなく、「投資・消費」というビジネス的視点で割り切ってしまうのはいささか賛同できないが、特に首都圏での中等教育学校の流れがうまく整理できた。

『現代社会百面相』

鎌田慧『現代社会百面相』(岩波ジュニア新書 1984)を読む。
ちょうど時代的に1980年代前半、中曽根内閣のもとに進められた臨調、臨教審路線を批判するような内容となっている。国家秘密法案や原子力発電、食品公害、人材派遣法案など当時危惧された問題が10数年経ってみて改めて形を変えて様々な方面に影響をもたらしていることが分かった。

追伸
結局今週一杯風邪が治らなかった。喉が荒れて仕方がない。気力まで萎えてきてしまう。

『風の盆から』

先月放映されて録画しておいたNHKドラマ『風の盆から』(松本幸四郎・倍賞美津子出演 市川森一原作)を観た。
富山県八尾町の「おわら風の盆」という祭りを舞台にした、死んだ娘と父との交流を描いた作品だ。観光地としてはあまり有名ではないが、八尾町の美しさが印象的であった。盂蘭盆会をモチーフとして用いたいかにもNHK的な正統派ドラマといった趣だった。

『恋愛王』

鴻上尚史『恋愛王』(角川文庫1996)を読む。
内容は鴻上氏の恋愛自慢ではなく、恋愛ほど相手を理解しようと努めるものはないと、人間の心理の妙に迫るものだ。「”素直になれない私”をつくり上げたのは、”私”なのです。私がつくったものを、私がこわせないはずがないのです。人間は、ほとんどの場合、他人ではなく、自分でつくりあげた自分に負けるのです。んっとに、もったいない」と恋愛成就のための自己実現的な発言が目立つ。

男は、恋愛において個人的な満足を求める。つまりやすらぎを求めるって奴です。あなたの周りにいる男はみんな子供っぽいでしょう。一方、女は恋愛において社会的な満足を求める。つまり、社会に認められることや社会参加や
社会とのつながりを求める。あなたの友達は必ず、社会的に認められた恋人を自慢するでしょう。それはつまり、今の男がいかにやすらぎとか安心を社会の中で得てないかという証明であり、一方今の女性がいかに社会的に認められてなく、社会に参加していないか、するとしても、男を通じてしかないという証明なのです。

また鴻上氏は男女の恋愛観のすれ違いについて上記のように述べる。昔から出されていた議論であるのだろうが、改めて新鮮な感じがした。確かに逆説的な言い方をすれば、「男を捨てる」というのは「社会的立場」「責任」を捨てることであり、「女を捨てる」ということは「家庭的立場」「美」を捨て去ると一般的に考えられる。マザコンやロリコン、シンデレラ・白馬の王子様願望といったものも説明がつく。しかしだからどうなんだというものは見えない。