映画」カテゴリーアーカイブ

『ボイス』

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アン・ビョンギ監督『ボイス』(韓国 2002)を観にいった。
映画版リングとポルターガイストを足したような大変疲れる作品であった。下4桁「6644」という番号の携帯に出た少女が悪魔のように変わり果ててしまい、その番号をかつて使っていた人物の跡を辿ると不思議な死を遂げていたというストーリーである。悪魔の声の正体が判明した後半部よりも、正体が分からないストーカー的恐怖に満ちた前半部の方が恐かった。携帯電話、メールを悪用したストーカー行為、盗聴行為といった現代社会も見えない恐怖に囲まれた生活をしているゆえか。

『キャッチミー・イフ・ユー・キャン』

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昨日、スティーブン・スピルバーグ監督・レオナルド・ディカプリオ,トム・ハンクス主演『キャッチミー・イフ・ユー・キャン』(2002 米)を大宮へ観にいった。
夜9時過ぎからの上映だというのに館内は満員であった。 FBIと詐欺師という追いつ追われつという関係に段々と友情が入っていく過程が面白かった。トム・ハンクスとディカプリオの演技あってのものであった。1960年代後半を描いているのだが、話の伏流に人権の保障のない仏国と人権と自由を保障する米国という構図が見え隠れした。

『戦場のピアニスト』

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先日大宮のサティの中にあるワーナーマイカルというシネコンで、ロマン・ポランスキー監督『戦場のピアニスト(The Pianist)』(2002 仏独英波)を観た。
CMで映画評論家のおすぎが「感動」を連呼していたが、正直泣ける映画ではなかった。しかし見終わった後で、いろいろ考えさせる映画であったことに気付いた。
ナチスドイツがワルシャワに侵攻した1939年から話は始まる。ユダヤ人のピアニストであった主人公シュピルマンは当然のごとく、ユダヤ人居住区であるゲットーでの生活を余儀なくされ、アウシュビッツへの片道列車の恐怖におびえながらの生活が続く。しかし主人公シュピルマンは運命のいたづらか、ゲットーから脱出し、ワルシャワ市民やドイツ兵の監視の眼の届きにくい場所に落ち着くことができた。しかし仲間の裏切りもあり、栄養失調のためいつ死んでもおかしくない絶望の状況に追いつめられていく。そして廃屋の屋根裏での生活がドイツ兵に見つかる。そこでドイツ兵に問いつめられたシュピルマンは最後に「わたしはピアニストだ」「戦争が終わったらラジオ番組でピアノを弾きたい」と力強く言い放つ。彼が戦火を逃れ生きようとする根本の力がピアノであったことに観客は気付く。

単に戦争批判をくり返すことだけではなく,自分らしさや自分なりの夢を真摯に追う,自分の将来像を確と見据えることも戦争反対の原動力になるのではないか。

『小さな中国のお針子』

引っ越しのため、先週3週間ぶりに回線が繋がった。また今週から雑記帳の更新を再開してみたい。
引っ越しのついでにプロバイダーも乗り替えようかとも思ったが、ADSLもそう長く使うことはないだろうと、8M契約のまま移転の手続きをした。

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昨日フランス映画ダイ・シージエ監督『小さな中国のお針子』(アルバトロス・フィルム 2002)を大宮へ観にいった。
『戦場のピアニスト』を観に出掛けたのだが、満員で見ることが出来ず、仕方なく観た作品だったが、案外面白かった。中国大陸を滔々と流れる長江の三峡ダム建設のために潰れた小さな山村での恋愛話である。文化大革命時代に禁止されたバルザックの作品に触れたことで大きく変わっていく女性と、過去を忘れられない二人の男性の焦がれる気持ちが微妙に交錯する。中国の田舎を舞台としながらも、上質なフランス的な香りがほのかにする恋愛映画であった。