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『早春物語』

地上波番組「シアター092」で放映された、原田知世主演、澤井信一郎監督、音楽担当久石譲『早春物語』(1985)を観た。
主演の原田知世さんが輝くことを前提に作られた、半分子ども半分大人の多感で、微妙な、そして危険な年頃の恋愛物語である。
昨日に続いて、音楽を聴くつもりで見始めたのだが、後半からずるずると映画の内容にひき込まれてしまった。確か高校1年生か2年生くらい、つまりは映画が公開されて5年後くらいにビデオを借りて観たような記憶がかすかに残る映画である。当時は主演の原田知世さん演じる主人公と同じ年齢であったのだが、大人の恋愛ということであまり感情移入できず印象に残らなかった作品であったと思う。

しかし、今回は女子高生が恋する対象の中年男性の方と近い年齢になったせいもあり、喜怒哀楽が激しく小悪魔的な女子高生に恋する中年男性の視点と、まだまだ子どもという立場で娘を捉える父親の視点の両方から味わう事ができた。

最初は中年男性に自分をなぞらえて高校生と付き合う自分の姿を思い描いたりしてみたが、後半はそんな女子高生の若さについていけない中年男性の姿に自分を重ねてしまうはめになった。

スケジュールが足らなかったのか、物語の展開に粗さが目立つが、これから成長していく女子高生と、これから下り坂を降りていく中年男性の対比が鮮やかであった。

『風の谷のナウシカ』

日テレの「金曜ロードショー」で放映された、宮崎駿監督・音楽担当久石譲『風の谷のナウシカ』(1984 東映)を観た。
昨日読んだ本の中での久石譲さんの伴奏音楽の理論を確かめながら観た。改めて見事なまでに映像の場面転換と音楽の出だしが一致していた。

思い出すに、『風の谷〜』を最後まで観たのは20年ぶりくらいであろうか。中学校か高校時代に同じ金曜ロードーショーをVHSビデオに録画して観て以来であろう。ハイビジョン映像で細かいディテールまで楽しむことができた。

20年前、人間によって「汚れた大地」を数千年かけて正常に戻す「腐海」といった設定などはSF物語であった。しかし、3・11以降の現在では、そうした設定も遥か彼方の物語ではなくなった。

昨年、人間の手によって生み出された原発が暴走し、大量の放射線が空気と大地を汚した。反原発デモなどの高まりで、「もう原発はこりごりだ」という脱原発が民意となった。いまだ危険な原発を使いこなそうとする一部政財界と、再生可能エネルギーに将来を託そうとする市民との分かりやすい対立構造も露となった。

『風の谷〜』の映画では、確たる解決策は描かれない。世界を覆う腐海の辺境のほとりの一部地域の物語に過ぎない。ただし自然、とりわけ水の持つ力を上手く人間の叡智で活用することが人類存亡の鍵であると述べるに過ぎない。

古代春秋時代の老子の言葉に「上善は水の如し」という格言がある。水は決して万物と争うことなく、人の嫌がるところに身を置く、故に人間完成の姿を表すという意味である。

『香港国際警察/NEW POLICE STORY』

日テレの金曜ロードショーで放映された、ジャッキー・チェン主演・製作総指揮『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(2004 香港)を観た。公開当時50歳のジャッキー・チェンのアクションシーンが随所に散りばめられていた。

織田裕二主演『踊る大走査線』を真似したのか、青島よろしくジャッキー・チェンのアクションシーンを見せ場を並べるだけで、脚本も演出も穴だらけであった。テレビ版だったので30分近くのカットがあるのだが、愉快犯と後手後手の警察組織の狭間で苦労する主役という設定自体が頂けない。しかし、観客はジャッキー・チェンのカンフーに期待しているのであって、エンターテイメントとしては申し分ないのであろう。