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教員免許認定試験第1日目

今日は学芸大学へ小学校の教員免許認定試験を受験しに行ってきた。教育実習や介護体験も行かずに小学校2種免許が取得できるというお得な制度なのだが、合格率は10%ほどの狭き門となっている。今日明日行われる1次は全科目択一式の問題で、全体で6割取れれば通過するということである。今日は得意の教職、国語、社会、算数だったので、ほとんど勉強しなかったのに6割は越えた気がするのだが、しかし、明日は懸念の体育、音楽、生活の試験が控えている。体調を整えて臨みたい。

「憲法は非常識?! なぜ今、憲法改正なのか?」

9jyou

本日は近所の春日部中央公民館で開かれた「さいかつ(埼葛)九条の会」発足記念講演会「憲法は非常識?! なぜ今、憲法改正なのか?」(講師:三輪隆埼玉大教員)に出掛けた。
大江健三郎や小田実氏の呼びかけによる「九条の会」の主旨に賛同して立ち上げられた市民運動の発足イベントである。三輪氏は「市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題Web」を主催している人で、9条を守るという一点で護憲、反戦団体の連携を模索している人物である。議会から護憲勢力が無くなりそうな現状では、市民レベルでの護憲運動の活性化こそが憲法改悪を止める唯一の手立てであり、党派やセクトによる分裂を乗り越えて大同団結しようと主張する。
三輪氏は原水禁運動の分裂を例に挙げながら、あの人は「○○派」「△△党」と一度レッテル張りをされたら、そこで運動における人間関係が崩れてしまう、いかにも日本的な運動の土壌の狭さを指摘していた。非常にノンセクト的な、あるいは環境運動的な側面を有する運動であるが、自民党・民主党などの改憲勢力という大きな壁を打ち破れるのか、そして全共闘運動が越えられなかった「内ゲバの論理」を越えられるのだろうか。

〈心理学〉

 防衛機制とは、自我と無意識とその両者を司る超自我の3領域の相互関係が人間の意識や行動を規定するとしたフロイトの心的装置論を背景に構成された概念である。自我は無意識の表出と外界との調和を図りながら現実的に適応する機能を担うが、時に過大な負担に直面した場合、非常手段的に衝動を抑制しようとする。それらの機能を総称して防衛機制という。防衛機制は、自己の自尊心を保持し過度の不安から守る自我防衛機制と欲求不満事態から逃げていく逃避機制、自我を守るために他を攻撃する攻撃機制の大きく3つの機制に分類される。

〈自我防衛機制〉
 合理化:自分が行った失敗や不満の真の動機を隠し、理屈付けして弁解する機制
 投射:自己の内に存在する認めがたい欲求や感情を他者がもっていると認知する機制
 同一視:他者が自己に期待している態度や価値観を取り入れて自分の基準とし、それに従った行動を取るようになること
 抑圧:不満や葛藤などの原因となる欲求や動機を無意識の領域に押しやる機制
 補償:ある面における自己の不満を覆うために、他の面で努力を払って満足を得ること
 置換:ある感情が向けられている対象を別の対象に置き換えること
 昇華:補償・置換などの機制によって、本来の欲求が社会的文化的に価値の高い目的に向けられ努力すること
 反動形成:自己の弱点に対する非難を避けるために、正反対の行動や態度を取ること

〈逃避機制〉
 退行:解決困難な状況において自我が合理的な対処を放棄し、未発達な段階に逆戻りすること
 逃避:困難な状況から逃避することによって不安から逃れようとする消極的な機制
 固着:一定の感情や行動パターンあるいはその対象が固定し、流動性に欠ける状態

〈攻撃機制〉
 破壊的な攻撃や反抗的な態度により欲求不満を解消する機制
 私自身、仕事を抱えながら今年度より通信制の大学に入学をした。確かに大学の勉強をしたかったのだが、その動機の背景には3月までの仕事に対する不満があった。なかなか自分の思い通りの仕事が出来なかった。そしてそうした自分の仕事に満足が持てない現実を忘れよう忘れようとスポーツや趣味に興じていた時期もあった。
 そうしたストレスから逃れるために大学での勉強を選択したのだ。しかし、いざ段ボールいっぱいの教科書を見たとき私のやる気は失せていった。今締め切り間近になってレポートの作成に追われているのだが、ぎりぎりにならないと手を付けないという学生時代からの悪習は変わらない。しかも、つい昨日、締め切りという現実を忘れるようと、普段めったにやることのない風呂掃除に夢中になっている自分を発見した。福祉の用語でいっぱいになっている頭をリフレッシュするためという理由を思い描きながら……

 参考文献
 ラッシェル・ベイカー著・宮城音弥訳『フロイト』講談社現代新書、1975

〈社会保障論1〉

 ア)日本における公的な救貧制度は高齢、幼少、疾病、障害などによる極貧の者に、米を給与するという恤救規則に始まる。1929年には救護法が制定され、生活扶助、医療扶助、出産扶助、生業扶助の公的な救護義務が明確化されるとともに、対象者が拡大されることとなった。その後、1922年に被用者を対象とした医療保険制度として健康保険制度が、その後、1938年には自営業者、農業者を対象に国民健康保険制度が、また1941年には労働者を対象とした年金保険制度が創設された。しかし、これら一連の社会保障策は戦争の激化に伴う国民を懐柔するためのものであったと言ってもよい。

 イ)1946年に公布された日本国憲法は基本的人権としての「生存権」の保障を規定するとともに、日本の公式文書として最初に「社会保障」という言葉を用いたものである。1946年に生活保護法が、翌年に日本で最初の失業保険である労働者災害補償保健法と、児童福祉法が、49年には身体障害者福祉法がそれぞれ制定された。そして50年に社会保障制度審議会が「社会保障制度に関する勧告」を発表し、「生存権」の具体的な保障についての青写真を示した。

 ウ)1950年代以降の高度経済成長は国民生活を豊かにするとともに、貧富の差を拡大し、低所得者層への救貧的制度の必要性が訴えられた。58年には自営業者や農業従事者等全ての国民が健康保険に加入することを義務づける新しい国民健康保険法が制定された。さらに1961年には「国民皆保険・皆年金体制」が確立し、すべての国民が何らかの医療保険制度に包含され、将来、年金給付を保障されることとなった。また、63年には老人福祉法の制定を始め、福祉関係の主要な法制度が整備された。71年に児童手当法が制定され、73年には老人医療支給制度の導入により70歳以上の高齢者の医療費の自己負担無料化が図られた。社会保障制度の体系は金銭的な給付という観点からほぼ整うことになった。

 エ)オイルショック後、「社会保障費用の適正化・効率化」「給付と負担の公平」を図るという名目で、社会保障の一部縮小が始まった。1982年に老人保健法が制定され、老人医療費に対して患者本人の一部負担が導入された。また、1984年には健康保険制法が一部改正され、被用者保険本人対する1割負担が導入された。89年には高齢者保険福祉推進十カ年戦略が策定され、在宅福祉サービスや施設サービスの基盤拡充が図られた。また、91年には老人福祉法など福祉関係八法の改正が行われ、市町村を中心とした福祉行政の展開や地方行政における計画的な老人保健福祉の基盤整備の推進が図られていくことになった。少子高齢化の進展に伴い、97年に介護保険制度が制定された。戦後国家の責任発展した社会保障であるが、一定の基盤が整備された後は、自己責任原則のもと、利用者の多様なニーズに応えるものに変わりつつある。

〈社会福祉援助技術〉

 日本の社会福祉援助技術はイギリスやアメリカで発展してきたソーシャルワークの考え方や実践方法・技術などに基づいて確立されてきた。その技術は、何らかの生活課題や社会的障害を抱え、サービスを必要としている個人や家族に直接働きかける直接援助技術と、クライエントの親族や友人関係、生活環境や地域性などを考慮し、生活の全体計画を作成する間接援助技術に大別される。

 社会福祉援助技術は、支援を必要とする個人や家族へのカウンセリングとは異なり、地域で生活する個人、多様な社会的なつながりを有する家族の自立に向けた支援をその目的としている。それは単に金銭面や身体・健康面での自立のみならず、政治的、文化的、社会関係的な自立を目指すものでなければならない。これまでの社会福祉は直接に支援を必要とする者を対象としてきたが、これから求められる社会福祉は、支援を必要とする者を支えるべき親族や友人、または地域、行政のあり方を変えていくことである。

 しかし、地域や行政を変えると言っても、単に入浴や食事サービスを増やしたり、手摺りやスロープを設けるだけでは共に生活していくことはできない。高齢者を迎え入れることで家族や親族の間にいさかいが生じ、引いては育児や介護する者のストレスなど高齢者問題とは別の問題も生じるおそれがある。また学齢期の障害児を在宅で育てていくことで、地元の養護学校の通学路の調整に伴うトラブルや、近隣の住民から苦情が舞い込む可能性もある。

 以上のように、都市生活の「過密」化と人間関係の「過疎」化によって、一つの問題が多くの問題に影響を及ぼしてしまう。社会福祉援助に携わる者は、例えば高齢者を迎え入れる家族に対しては、介護する者のための医療サービスや高齢者を看る時間を確保するための育児サービスの利用などの相談に乗らなくてはならない。また、障害児を受け入れる親に対しては、学校や児童相談所との緊密な連携体制の援助を行わなければならない。

 社会福祉援助技術とは、今後求められる福祉や医療・教育のネットワーク化や福祉組織化、地域組織化などを目的として行われるものである。つまり社会福祉援助技術は、人間による人間のためのサービスという視点に立って、個人と家族、地域の関係、また、地域と社会の関係を結んでいく作業である。つまり地域社会における、人々の「つながり」を再構築し、誤解や偏見を克服し、多様な人間が地域で共生していける土壌を作ることである。

 伊藤隆二東洋大教授は、社会福祉援助技術とは社会的に「弱い」立場におかれている人たちと共存共栄の人間関係を構築することであり、引いては、戦争や民族蔑視のない世界の平和を築く作業であると述べている。

 参考文献
 一番ヶ瀬康子・伊藤隆二監修『教科書 社会福祉』一橋出版 1997年