昨日隅田川の花火大会に出掛けてきた。大変込んでいて、ビルや樹木の隙間からかいま見る花火だったがきれいだった。浅草というと、学生時代の空手の大会場所であった台東リバーサイドがあるので、あまりいいイメージはなかったが、少しでもいいポジションをと駅周辺を歩き回ってみると面白かった。
「生活」カテゴリーアーカイブ
ヤクルトのお化け
今日ヨーカドーの地下食品売り場で、ヤクルトのお化けのようなものを買ってきた。写真を見ても分からないが、これで500ml入りなのだ。味はごく普通の乳酸菌飲料である。余談であるが、この手の飲料は他にもたくさんあるが、すべて「ウォークマン」と同じように、「ヤクルト」という商標名でくくられがちである。何かうまいネーミングはないのだろうか。
埼玉スタジアム2002
今日は日中、浦和の方へ出かけた。途中埼玉スタジアム2002の脇を車で通ったのだが、近くにある県立浦和東高校の案内標識に韓国語が交じっていた。いよいよ日韓共催のワールドカップが近いことを実感した。思えば最近テレビを観ていると韓国が自然に出てきていることに気付く。SMAPの草薙くんがハングルを口にする姿も板についてきた。また韓国の音楽や映画を目にする機会も増えてきた。ヨーロッパを中心に移民排斥の右傾化が強くなりつつあるが、ワールドカップ後も自然な形で日韓の文化交流が続くことを期待したい。
労働の喜び → 激落ちくん
忙しさはやはり変わらない。一日中ばたばたしている。
最近アパートの掃除に凝っている。疲れているときに無心に掃除をするというのはストレス解消に良い。現在の日本では、仕事が時間と分担によって断片化されてしまい、そこで働く労働者自身が自分の仕事が全体のどこに位置づけられているのかつかみにくい。そのために仕事を通じての達成感が実感できず、仕事に対する疎外感から心身ともに疲れてしまう。この点について『資本論』(河出書房)の中では次のように紹介されている。
たとえば多量の完成品が一定期間内に供給されねばならないとしよう。すると労働が分割される。同じ手工業者にさまざまな作業を時間的に順次に行なわせる代わりに、それらの作業がたがいに引離され、孤立させられ、空間的に並立させられ、それらの作業の各々が別の手工業者に割り当てられ、全作業をいっしょにしたものが協業者たちによって同時に遂行される。(中略)これらの作業は、経験によって、さらにずっと細分化され、孤立化されて、個々の労働者たちの排他的職分にまで自立化された (「分業とマニュファクチュア」)
その点、部屋の清掃というものはその作業に従事するものにとって、全体像が把握でき、創意工夫をこらしつつ、達成感を得ることができるものである。つまり労働者にとって一定のよろこびを伴うものである。10年以上前にテトリスというゲームが大ヒットしたが、そのからくりは全体把握、一定の工夫を加える余地、目に見える達成感の3つの条件をクリアーしていた。
私が現在掃除に凝っているのはもう一つ理由がある。それはスポンジにある。今、「激落ちくん」という洗剤を使わないスポンジが気に入っており、お風呂に入りながらあちこちキュッキュッとこすっている。お風呂周りの目に付かない水あかが落ちていく感覚が手に伝わってくるので面白い。この「激落ちくん」であるが、サイズが5種類あり、「激落ちベイビー」「激落ちママ」「激落ちパパ」「激落ちキング」とラインナップされている。スポンジという無味乾燥な清掃用具にキャラクターの要素を与え差別化を図っていくアイデアはなかなか鋭い。そのうちウルトラマンのように、「激落ちタロウ」やら「激落ちエース」「帰ってきた激落ちくん」「激落ち80」などが現われてくるのだろうか。
キャラメル&シナモン風味
先日、アイスコーヒー用のミルクを買いにいったところ、気付かずに「キャラメル&シナモン風味」のミルクを選んでしまった。
「いつものコーヒーに入れるだけで香り豊かなフレーバーコーヒーに仕上がります」というコピーが書かれている。嫌な予感がしたが、案の定飲めた代物ではない。コーヒーにキャラメル味がミックスされ、何とも言えないような香りが漂っているのだ。不買運動すらおきそうな不味さである。食事を粗末にすることは天誅に値するが、残りのミルクは全部捨てしまった。