新聞」カテゴリーアーカイブ

本日の東京新聞朝刊から

本日の東京新聞朝刊に、日本各地に点在する耕作放棄地の太陽光発電への転用の記事が掲載されていた。
農林水産省によると全国の耕作放棄地は年々増加し、2010年現在1990年の約2倍の約40万ヘクタールにも及んでいる。そのうち発電に利用できるのは17万ヘクタールと見られるが、その全てを太陽光発電に活用した場合の発電量は年間約900億キロワットになり、約1600万世帯が1年間に使う電力量をまかなえる試算が出ている。しかし、農業以外への転用を制限する農地法の壁によって、転用が歩みが遅いのが現状だ。農業地域での発電は太陽光のほかに、農業用水の高低差を利用した小水力発電や畜産の廃棄物を使ったバイオマス発電なども広がっているようである。
PHP総研の佐々木陽一氏は次のように述べている。ついつい読み流してしまいそうな当たり前の内容の一文であるが妙に印象に残った

コメや野菜を育てるのと同じように、エネルギーも地域の資源を使って一次産業として生み出していける。農業との両立は可能ではないか。

田中法相辞任

本日の東京新聞夕刊に、田中慶秋法相の辞表提出の記事が一面に掲載されていた。
記事によると、田中法相は就任3日後には外国人献金問題が発覚し、その後に週刊誌が暴力団関係者の仲人を務めた過去について報道されている。その後質問を受ける予定だった18日の参院決算委員会は直前に出席をキャンセル。その欠席の理由は当初に予定になかった日本調停協会連合記念式典への出席だったという。また、19日午後の参院行政監視委員会を都合良く欠席するため、できるだけ遠い出張先を探し、北海道月形町の月形刑務所が選ばれていたそうだ。しかし、19日朝に体調不良を理由に欠席し、そのまま「胸痛、不整脈、高血圧、貧血」で入院し、挙げ句、23日は辞表提出のみで、記者会見も行っていない。

まさに国民に対する愚弄以外何者でもない。マスコミの論調に乗る訳ではないが、このような「スチャラカ大臣」を任命した野田総理の任命責任は免れないであろう。しかし、それを追求する自民党総裁も所信表明の二日後に辞任した安倍元総理である。「目糞鼻糞を笑う」「同じ穴の狢」に過ぎない。こうした与党も野党第1党も信用できない政治状況では、マスコミが誘導する云々の前に、国民の方で第三極やネット右翼に流れていくのも道理であろう。

本日の東京新聞朝刊から

本日の東京新聞朝刊に、タレントでエッセイストの小島慶子さんのコラムが掲載されていた。ちょうど私と同年代で小学生のお子さんがいらっしゃるということもあってか、今の私に向けて発せられているような気がしてならない内容であった。
短い文章だったので味わいながら引用してみたい。

子育ての話をしていたら、ある男性が言った。「今は忙しい親が増えている。子どもと向き合うためには、接する時間を長くするべきだ」。まじめな父親なのだと思う。正論だ。だが、危うさも感じた。どんな人間関係も、長い間一緒にいさえすれば分かり合えるというものではない。母子密着の環境に苦しんでいる親子は多い。子育てに熱心な父親の過干渉に悩んだ人もいる。関係の健全さは一緒にいる時間の長さに比例すると思い込むと、人と向き合うことの本質が見えなくなる。
子どもには親との接触が何よりも大事な時期がある。忙しい親は皆、悩みながら子どもを育てている。私もそうだ。でも子どもはストップウォッチで親といる時間を計ったりしない。自分に全力で「あなたは誰?」と問いかけ、何よりも大切だと抱きしめてくれる人が誰か、子どもたちはうんと小さいときから見分けることができる。子どもが行かないでというときに、そうだね、同じ気持ちだよと切なく抱きしめてやる親の気持ちを、彼らはちゃんと分かっている。
時間の長さや行事の数で親が成果を計っても、子どもは記録では育たない。数えられないものを一瞬で与えることも奪うこともできるのが親子だ。数えずに向き合う関係は、他人の目では量れないものだと思う。

「公立校は『狭き門』」

本日の埼玉新聞朝刊に「公立校は『狭き門』」と題した記事が一面に大きく掲載されていた。今月4日にさいたま市で開かれた「日本語を母語としない子どもと保護者の高校進学ガイダンス」(県国際交流協会など主催)の模様が報じられていた。

写真に私の姿も写っているかと目を皿のようにして探したが、どうもタイミング悪く写っていないようだ。

記事によると、今年3月の県内中学生の高校進学率は98.6%に達する一方で、日本の高校への進学を強く希望しながら、言葉の壁や入試制度に戸惑ったり、学費などの面で躊躇する外国出身の生徒もかなりの数がいるとのこと。ガイダンスはそうした生徒の相談に対して県と民間団体が一体となってサポートしている事業である。当日は中国、フィリピン、ペルー、フラジル、パキスタンなどから来日し、埼玉県内で生活する約200人が参加し、県高校教育指導課の担当者の説明や通訳付きの個別相談で熱心に話を聞いている。

〈記事から引用〉県教育局は1996年度入試から県立高校に「外国人特別選抜」を設けている。2010年度から現行の数学、英語の学力検査と面接で選考。13年度は12年度と同様に岩槻、草加南、南稜、深谷第一、和光国際、蕨の6校で実施される。定員は各校上限10人で、10年度は受検者47人に対し、合格者は15名人という「狭き門」となった。11年度は35人が受検し、15人が合格。12年度は28人が挑戦、合格したのは11人だった。

県教委は、ブラジルの貧困地域に12年度から14年度まで定期的に職員を派遣し、コンピュータ操作を教えたり、日本の絵本や人形劇などを題材にして表現力を養う支援活動を始めている。
しかし、問題は海の向こうではなく、埼玉県内で起きているのである。60人という入試枠がありながら、日本の生活やクラスに馴染みそうにない生徒を半分以上も落としているのが実状である。まずは足下の県立高校教員の異文化理解の態度や、「全体の奉仕者」という憲法に明記された公務員としての姿勢から正すべきであろう。

改めて教育基本法を持ち出すまでもない。地元埼玉において、言語の習得如何を問わず、全ての生徒が全日制普通科教育を受けるチャンスを平等に活用す入試制度のありようを問い直していきたい。

性犯罪被害者の中絶費用公費負担制度

本日の東京新聞夕刊に、性犯罪被害者の中絶費用の公費負担制度に関する記事が出ていた。2006年度から始まった強姦の被害者に対する人工中絶費用の支給は、国と都道府県が折半して医療費を支給している。31都県では上限を設けずに、初診料や診断書料まで含めた全額が支給され、被害者の経済負担はゼロとなっている。ただし16道府県では支給上限額が設けられている。警察庁では上限の撤廃を求めているが、その上限額も和歌山の17万5000円から山形の9万円までばらつきがある。
性犯罪ましてや妊娠までしてしまう犯罪は被害者の人権を大きく踏みにじるものである。様々なケアが必要であるが、せめて経済的な負担だけはゼロにしてもらいたいものだ。

さらに、記事は性犯罪被害者の現状に詳しい富山市の産婦人科医種部恭子さんの話でまとめられている。種部さんは「現在は原則、性犯罪被害者は警察に被害届を出さなければ経済的な支援を受けられない。(しかし)被害届を出す、出さないにかかわらず、支援する機関を通して公費で医療費を負担するような仕組みが必要だ」と話している。

種部さんは医療機関の立場から、スムーズな被害者支援策を述べている。しかし、被害届を出さないままの支援だと、かえって被害者が泣き寝入りしてしまうことにならないだろうか。こういった事件では加害者未定でも、加害者を追求する意味で被害届をきちんと出す必要がある。その上で被害届を出しやすいような医療機関のサポートや、その後のケアが必要になってくると考える。