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日本橋の景観改善へ 首都高地下化を国・都が検討

本日の東京新聞夕刊に、首都高都心環状線の一部を地下に移設することにより、1603年に架けられ、五街道の起点となった日本橋(現在の石造アーチ橋は1911年に建造)の景観を取り戻すプロジェクトが緒に就いたとの記事が掲載されていた。

テレビやネットニュースでも日本「橋」ばかりがクローズアップされているが、江戸時代から庶民に親しまれてきた日本橋「川」が都心の風景の中に復活することの方が喜ばしい。建造物ばかりでなく、憩いの場としての日本橋川も整備されることを期待したい。

高齢化進む多摩ニュータウン

本日の東京新聞夕刊に、都議選特集記事として、少子高齢化が早いペースで進む多摩ニュータウンが取り上げられていた。
ニュータウンの中心地である諏訪・永山地区では1971年から入居が始まり、働き盛りが集まったが、その子どものたちの世代は転出が進み、場所によっては人口に占める65歳以上の割合が40%超と、昨年の都全体の割合(23%)を大きく上回る。小学校は統廃合の対象となり、駅近くの商店は、シャッターを下ろした店が目立つ。車の運転ができない高齢者が増えれば、「買い物難民」が続出してしまう。

都議選のテレビニュースを見ていると、築地移転のニュースや国政絡みのゴシップなど、都市の問題ばかりがクローズアップされているが、都下郊外の過疎化や高齢化の方が争点としては大きいのかもしれない。多摩市の阿部市長の「都はニュータウンの製造責任がある」との言葉の持つ意味は、今後重くなっていくであろう。

多摩ニュータウン
東京都南西部に広がる住宅地。多摩、稲城、八王子、町田の4市にまたがり、総面積約2800㌶。開発主体は都や都市再生機構など。現在は9万6500世帯、22万5000人が暮らす。1966年以降に造成工事が始まったが、入居開始が90年代以降の場所もあり、住民の年代は地区によって違う。

「立憲主義廃絶への道」

本日の東京新聞朝刊に、神戸女学院大名誉教授で思想家の内田樹氏のコラム「立憲主義廃絶の道」が掲載されていた。
共謀罪の参院審議直前に言われてもという気がするが、日本人の政治への関心を見事に言い当てている。自分にもぴったりと当てはまることであり、当事者意識を常に持ち続けることの大切さと、同時にその難しさを感じた。

 共謀罪の法として瑕疵、審議の異常さについては論をまたない。法案成立後、政府は「隣人を密告するマインド」の養成を進めるだろう。思想統制は中央集権的に行おうとすれば大変なコストがかかる。国家財政を圧迫しかねず、今の政府にはそれだけの監視コストを担う覚悟はないだろうから、「市民が市民を監視し、市民が隣人を密告する」システムを作り出そうとするだろう。
 私が特に興味を持つのは、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪を経由してやがて改憲に至る文脈である。これは間違いなく立憲デモクラシーの廃絶と一党独裁をめざす一本道なのだが、なぜか「国民主権を廃絶する」と明言している政党に半数以上の有権者が賛成し続けている。その理由は誰も説明してくれない。
 18世紀からの近代市民社会の歴史は、個人の権利を広く認め、国家の介入を制限する方向で進化してきた。にもかかわらず、私権を制限され、警察の恣意的な監視下に置かれるリスクを当の市民たちが進んで受け入れると言っているのである。「彼らは理性を失っている」というのが一番簡単な答えだが、そんなことを言っても始まらない。人が理性を失うときにも主観的には合理的な理由がある。
 それは「国民は主権者ではない」ということの方が多くの日本人にとってはリアルだということである。戦後生まれの日本人は生まれてから一度も「主権者」であったことがない。家庭でも、学校でも、部活でも、就職先でも、社会改革を目指す組織においてさえ、常に上意下達の非民主的組織の中にいた。
 それは上位者の指示に唯々諾々と従う者の前にしかキャリアパスが開けない世界だった。その意味では、現代日本人は生まれてから一度も「民主的な制度」の中に身を置いた経験がない。だから、私たちが「立憲デモクラシーなどというのは空語だ」と思ってしまうのは経験知に照らせば当然なのである。
 日本人にはそもそも「主権者である」という実感がない。だから、「国民主権を放棄する」ことにも特段の痛みを感じない。現に、企業労働者たちは会社の経営方針の適否について発言する必要がないと思い込むに至っている。
 それは「上」が決めることだ。それでも平気でいられるのは、経営者のさらに上には「マーケット」があり、経営の適否を過つことなく判断してくれると彼らが信じているからである。「マーケットは間違えない」。これはビジネスマンの信仰箇条である。売り上げが減り、株価が下がれば、どのような独裁的経営者もたちまちその座を追われる。
 それと同じシステムが国レベルでも存在する。日本の統治者のさらに上には米国がいる。米国の国益を損ない、不興を買った統治者はただちに「日本の支配者」の座を追われる。これは72年前から一度も変わったことのない日本の常識である。統治者の適否の判断において「米国は決して間違えない」という信ぴょう性は多くの日本人に深く身体化している。それがおのれの基本的人権の放棄に同意する人たちが最後にすがりついている「合理的」根拠なのである。

防衛強化 急ぐエストニア

本日の東京新聞朝刊にエストニアの防衛事情に関する話が掲載されていた。
ロシアによるウクライナのクリミア半島併合後に、「ロシアの脅威」が増大していったということだ。しかし、クリミア半島とエストニアは2000キロ近くも離れている。また、スェーデンも7年ぶりに徴兵制を復活させることを決めている。ロシアがバルト海周辺で軍用機による活動を活性化させているためだという。大国ロシアの軍事力がもたらす世界への影響は確実に増大している。少し注目して追っていきたい。

 トランプ米大統領が北大西洋条約機構(NATO)加盟各国の国防費増加を求める中、旧ソ連バルト三国の一つ、エストニアの取り組みが注目を集めている。独仏などの大国を尻目に、国防費はNATOが目標とする国内総生産(GDP)2%以上を達成。周辺の大国の脅威にさらされてきた歴史から民間防衛隊の活動もさかんで、各国に「国を守る」意味を問い掛ける。 (エストニア・タリンで、栗田晃、写真も)

 二月中旬、タリン郊外の演習場で、民間防衛隊「カイツェリート」の雪上訓練が行われた。「バラバラになるな。一斉に行動するんだ」。迷彩服を着た参加者は小銃を手に軍から派遣された講師の指示を聞いた。
 この日のテーマは森林での戦闘。「地雷を見つけたら、後続の仲間にも分かるよう印を置け」などと指導はかなり実戦的だ。
 参加者の動機はさまざまだ。中学教師のケン・ヘベイキさん(30)は「リーダーシップを学ぶために来た」、三歳の娘を持つ主婦のバーバラさん(26)は「何か新しい体験をしたいと思ったから」と話す。きっかけは趣味の延長線上でも、「いざとなれば自分たちで国を守る覚悟はある」と口をそろえる。
 二〇一四年のロシアによるウクライナ・クリミア半島併合後、隣国ロシアの脅威は現実味を帯びている。現在の登録隊員は二万五千人。一五年の新入隊員数は、例年の倍となる千二百人に増加した。
 人口百三十万人のエストニアで、平時の兵力は計六千人(半数は徴兵)。補完する存在として民間防衛隊の役割は大きい。職業軍人でなくともNATO軍としてイラクやアフガニスタンなどへの海外派遣もある。
 NATOは二四年までに全二十八加盟国の国防費をGDP比2%以上とすることを目指すが、現在達成しているのは米英に加え、ギリシャ、ポーランド、そしてエストニアの五カ国だけだ。有事に他国の支援を頼むためにも、ツァフクナ国防相は「自分たちで自分を守る用意を示すことも重要だ。その例がカイツェリートだ」と話す。

 <エストニア> バルト海に面し、中世は貿易で発展。デンマーク、スウェーデンなどによる支配をへて、18世紀にはロシアの勢力下に。第1次大戦後、独立を果たすが、第2次大戦時にソ連に併合された。1991年にソ連から独立。2004年、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。近年はIT技術の発達でも知られる。

「踊りは思想」

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」の書評が目を引いた。
アナキズムに造詣が深い政治学者栗原康氏の著作にも目を奪われるが、社会や政治についてリズムに乗って語る軽妙な文体が耳に心地よい。こういう文章を書く力を身につけていきたいと思う。勉強のつもりで打ち直してみたい。

 安保反対や脱原発のサウンドデモ。心臓の鼓動のような太鼓の響きはリズミカル。大声でラップ調のリズムに乗る。いいね。撥ねろ、歌え。踊りは古より民の活力だ。
 遡れば鎌倉時代の一遍上人、全国を遊行(布教)しながら、念仏踊りを広めた。凄い。南無阿弥陀仏を唱え、トランス状態でとび跳ね、地面を蹴り上げ、自由に踊り続けた。死後は教団化を戒めたので、一遍は他の宗派に比べて知られていない。残念。そこで一遍の「踊り」「捨てる」「放浪」をキーワードに、アナキズムの視点から光をあてたのが栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』(河出書房新社)。著者独特のリズムを持った喋り言葉の文体でテンポよく、一遍の思想が現代に蘇る。伊藤野枝を描いた前作も傍若無人で痛快だった。栗原、やるね。
 踊りは自らの身体を懸けた思想表現だ。ただの肉体ではない。魂が宿る。抑圧状況下での庶民の武器だ。民は金銭(経済)や制度(共同体)の見えない鎖に繋がれている。だが蒼氓のの居直ったエネルギーを一番恐れているのは、いつの時代も権力者たち。栗原の著作は憤怒の叫びに溢れる。放浪上等、乱舞良し。
 それにしても最近の政治は緩み過ぎ。念仏踊りが始まるぞ。(ええじゃないか)