投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『兎の眼』

先程やっと中間テストの採点が終わった。いつもながらぎりぎりに問題が出来、ぎりぎりに返却となった。早め早めと思っているのだが、締め切りが近づかないとやらないのは学生時代の悪習か。
生徒には「計画的に」と口を酸っぱくしつつも、言うは易く行うは難しを実感する。

今灰谷健次郎の『兎の眼』を読み返している。
読みながら生徒のことを「受け止める」ことの複雑さを感じる日々である。

私のパソコン画面

 

本日生徒との面談の中で、芸能人についての話が出た。
モーニング娘が11人もいたと初めて知った。つい最近まで8人だったのに。
しかし芸能人の名前と顔は最近とみに覚えにくくなった。
MAXと太陽とシスコムーンとDREAMの区別がつかない。
釈由美子と高橋由美子の区別はつくが、19とゆずの区別がつかない。
果てはグレイとラルクの違いも分からない。
歳をとるというのこういうことなのか。

下記の生徒へ書き込みありがとう。
誰かは認識出来ないが、先生そのまんまって感じのHPというのは気になるなあ。
どこにそれを感じるのか…。

最近研究集録をまとめているのだが、煮詰まっている時のパソコンのトラブルは本当に許せない。いいところまで打って保存しようとした途端にフリーズするというのはパソコン側の作為すらも感じる。
マックは使っている人の個性が出てしまうためだろうか、私のマックは画面中至るところにファイルが散らばっているため非常に誤動作が多くなってしまう。
大体アプリケーションが文書ファイルに埋もれているために、いちいちマウスで掘り出すなんて極めて前近代的作業である。
マックは画面のことをデスクトップというが本当の私の机そっくりである。
整理すればよいにのついつい画面上に散らかしておくから整理出来なくなる。
今年中にマックOS10が出るのだが、高機能よりも安定性の方が魅力的である。

『FRONTIERS【宇宙】謎の収集』

昨日はアイザック・アシモフの『FRONTIERS【宇宙】謎の収集』(青春出版社 1991)を読んだ。
内容は興味深いのだが、訳がよろしくない。直訳調の日本語で読点の打ち方が悪く、文章にリズムがない。
読みながら、様々な情報が光ファイバーの整備でどんどん光速に近い速さで流通しているが、それを越えるものがあるという星新一の言葉を思いだした。相対性原理に従うならば通信技術がどんなに進んでも、光速を越えて伝わる情報は存在しえないが、事実はそれよりはるかに速く、宇宙の裏側にまで一瞬で伝わる。つまり地球から何十光年も彼方の星に住んでいる夫に、地球に住む妻から子供が産まれたという情報を光速で送っても、夫に届くのは何十年も先であるが、夫が父親になったという事実は子供が産まれたという事実は瞬間に夫に届けられるというものだ。

「村上龍“失われた10年”を問う」

現在NHKテレビを見ながらこの文章を書いている。「NHKスペシャル:村上龍“失われた10年”を問う」という番組だ。
1985年のプラザ合意以降のバブル経済の検証であるが、少々視点が狭い気がする。1980年代後半から2000年の現在までを振り返るには、中曽根政治の内実そのものを問い直す視点が不可欠である。中曽根が「臨調ー臨教審」路線の新自由主義の種を蒔き、竹下が水をやり、橋本が芽を育て、小渕、森政権で開花させんとしている。そこに位置づけられる教育、労働、金融、社会保障、家族制度、情報通信各分野における「規制緩和」政策を総合的に振り返らなくては全てが中途半端な考察に終わってしまい、「規制緩和」をしていない政治、行政にその矛先を向けていくような議論が展開できない。

『驚異の速学術』

今日は、黒川康正『驚異の速学術』(実業之日本社 1986)という本を読んだ。
「あるグループの重要な項目は、全体の中で比較的小さな割合を構成する」という、有名なパレートの「80対20の法則」をどう授業の中で交えていくのか考えた。パレートの法則は野口由紀雄の「超勉強法」の中でも重用視されているが、いざそれを教える側がどう使っていくのか工夫が要る。またこの本の中で効率的記憶の方法として「ツリー式」や「意味付け」「繰り返し」なども紹介されていたが、古典文法や漢文法、評論文用語などにも創意工夫が必要である。