月別アーカイブ: 2023年6月

『頑固親父は受験トレーナー』

北村英明『頑固親父は受験トレーナー』(鎌倉書房 1990)を読む。
著者は1946年生まれの団塊世代で、受験競争の激しかった団塊ジュニア世代ど真ん中の息子を持つ父親でもある。その著者が息子の高校受験にどっぷりとハマり、内申点をあげるために計画を作り、参考書を駆使して地元で1番の高校に受かる戦略を練る。

ちょうど息子は私とほぼ同級生である。当時の高校受験の難しさと、中学校の学習内容の多さに改めて驚きを感じた。私立か公立か、私立希望の併願か、公立希望の併願か、その当時から中学浪人する人はいなかったが、内申重視の配点やア・テストの是非を含めて、高校受験の面倒くささが印象に残った。

『おとなになる旅』

澤地久枝『おとなになる旅』(ポプラ社 1981)を読む。
著者の澤地さんは1930年生まれなので、51歳の時の著書である。かつての満州、中国の吉林省で過ごした子ども時代の思い出が綴られている。中国東北地方の田舎で、裸で過ごした小学校時代のエピソードや戦争が激しくなってきて学校から先生が召集されていく場面などが描かれる。

わたしは今までに、自分の難民生活について、あるいは引き揚げ体験について、ほとんど書いたり語ったりしていません。それはおとなたち、あるいはわたしたちの世代の人たちをふくめて、おおくの人たちの引き揚げ話が、みんな被害者意識で書かれていることへのやりきれなさからです。ほとんどが、ひどい目にあいました、ずいぶんつらい生活をしました、財産もなにもみんななくして帰ってきました、という視点で書かれていたからです。

でも、なぜリュックサックひとつになって帰ってきたのか。なぜ命からがらにげなければならない非難行があったのか。難民生活があったのか。その原点をさぐってゆけば、日本がよその国へせめていって、そこでその土地の主人のような顔をして暮らしていたことの結果なんですね。わたしは子どもで、そのことの直接の責任はおえません。しかし、侵略し支配した側にいた子どもであったということを、忘れることはできない。難民生活も引き揚げも、少女期にはいっていたわたしにとって、かなり試練であったとしても、わたしは被害者という気持だけではそのことは語りたくないの。

「黄金色 穂が揺れる」

本日の東京新聞夕刊に、群馬県伊勢崎市の小麦畑の写真が紹介されていた。
写真右側の紹介文に、収穫後は畑を耕し、水を張って稲作が始まると書かれている。米と麦の二毛作というと筑紫平野の広がる福岡県と佐賀県の専売特許だと思っていた。ネットで調べてみると、群馬県は水捌けの良い関東ローム層が県土の大半を占めているため、米よりも小麦栽培の方が適している土地だということだ。

また「二毛作」で検索していたところ、淡路島の玉ねぎも二毛作であり、稲の裏作として作られているのを知った。種まきは9月、定植(植物を苗床から畑に移して本式に植えること)が12月、そして5月から梅雨入りの直前までがタマネギの収穫時期である。稲作の裏作としてぴったりである。淡路島の温暖な気候が影響しているとのこと。

『やってみよ!国際ボランティア』

長谷川まり子『やってみよ!国際ボランティア』(双葉社 2001)をパラパラと読む。
著者は1965年生まれの女性で、30代でネパール農村部の女性のためのボランティア団体「ラリグラス・ジャパン」と出会い、後に代表となって人身売買被害者支援の活動を行うようになった”活動家”である。

前半は著者自身の活動や様々な国際ボランティアで活動している若者を取り上げ、後半はピースウインズジャパンや国境なき医師団、ハンガーフリーワールドなどが紹介されている。20年以上も前からミャンマーからバングラデシュに流入すロヒンギャを支援するブリッジ・エーシア・ジャパンというNGOがあったのは知らなかった。何事もとりあえず始めて、工夫しながら継続していくことが大切であると実感した。

『通関士になろう! 新版』

片山立志『通関士になろう! 新版:貿易実務のプロを目指すガイドブックの決定版』(PHP研究所 2001)をパラパラと読む。
著者は通関士養成機関のマウンハーフジャパンを立ち上げた人で、本書には通関士の将来性や仕事の醍醐味、国家試験の内容、合格術、合格体験記が収録されている。内容が分かりやすく、ぱらっと読んだだけだが、通関士業務の一端は知ることができた。

ただし、関税法や関税定率法、関税暫定措置法などに照らして、インボイスなどの申告書の作成が中心の業務で、AIで代替できるじゃんと思いながら読み進めていった。確かに通関業務の書類作成はAIで充当できるが、通関業務の知識や経験をいかしたEPA・FTAアドバイザーや運送代理店などでのコンサルティング業務は人間相手ものなので、必ずしもAIに取って替られる職業ではない。

学校現場では何度も繰り返されている議論であるが、知識そのものの多少や正誤を重視するのではなく、知識を活用する技能や、それらを応用する思考・判断・表現が人間には大切なのである。本書の狙いではないが、そうしたAI時代に必要な教育を考えるきっかけにすることができた。