月別アーカイブ: 2012年1月

『ヒトリマケ』

hitorimake_movie

今日は寒いので、遠くへ出かけず一日中家で子どもと一緒にだらだらと過ごした。
昨日の疲れのため12時間もの睡眠の後、昼は子ども3人連れて近所の公園を散歩しに、夕方は真ん中の子を連れて、いつもの通りヤマダ電機へトミカを買いに。

そして、夜は、一年前にテレビで放映されていた、四季涼監督・街田しおん・井戸田潤主演『ヒトリマケ』(2008 日本)をぼーっと観た。アイデアはゲーム感覚で面白いのだが、あまりに低予算な映画というチープさが目立つ映画であった。
それにしても何もしない「無駄」な一日というものもたまには大事である。

『わが解体』

高橋和己『わが解体』(河出書房新社 1971)を読む。
冬休みなので、少し堅い本でもと思い手に取ってみた。
高橋和己氏は、その研究内容よりも、1969年の大学紛争の渦中、新左翼寄りの立場をとり学生の直悦民主主義を支持し、京都大学の教授会を批判した文学者として知られる。しかし、大学助教授としての彼の批判は、新左翼の学生の目には体制内批判とも理解されていった。彼は敵からも仲間からも批判の対象となり、心労が続き大学を辞職し、結腸癌により40歳の若さで命を閉じている。

この『わが解体』は、表題作の他、入院生活や手術の模様を綴った『三度目の敗北』、市中デモで命を落とした学生存在について疑問を発する『死者の視野にあるもの』、そして、民青と新左翼のゲバルト、また新左翼の党派内部の内ゲバについて、辛亥革命やソ連の共産主義革命を引き合いに論じた『内ゲバの論理はこえられるか』の3作が収められている。
どの作品も、ロマンチックに片方の勢力を鼓舞するものではなく、マスコミ的に外野から論じるものでもなく、当時の文部省の出先機関である国立大学の教職員の立場を代弁するものでもない。当事者として「学生—教授会」の対立の橋渡しを引き受けながら、対立が激化する中で、自らの存在意義を失っていく一文学者としての悲痛が描かれる。

彼のそうした微妙な思想のありようを示す一文があったので引用してみたい。
1968年3月京都大学に機動隊が導入されることになり、反対する学生が投石で応じ騒然とした事態が生じた。そこで、学生のシュプレヒコールの怒号のうちの一つに「機動隊帰れ、ここは貴様らの来るところじゃないぞ」という声が起こる。たまたまその場に居合わせた著者はそうした声に優越者の奢りを感じる。

人の生涯やその生計のあり方は、哲学的には絶えざる各人の自立的選びの集積としてあるべきものながら、些細なことが決定的要因となったり、その人個人の責任には属さぬ条件が大きく運命としてのしかかることのあるのも、四十年近い生を生きてきてみれば認めざるをえない。同年輩の青年のある者が、学生となり、他のものが機動隊員となるのも、そのきっかけは、ちょっとした偶然や、その人のまだ完全には自律的たりうる以前の家庭や資質などの条件に支配されることの多いものであろう。そうした条件に押されて生まれる最初の小さな差異は、やがて、この社会の機構にくりこまれて巨大な落差となり、さらには自分の立場にその精神を同化させてゆく人間の習性によって容易には転換できぬ対立ともなる。その対立の上に、一方の憎悪は他方の憎悪に増幅し、相互拡大してゆくのも今のところはやむをえない。一つの観念をそれと対立する観念との相互包摂下に理解し、一つの立場への了解は同時に敵対的立場の者へのなにほどかの洞察をうながす文学的な思惟習性を身につけてしまっている私は、一瞬、自分が仮に機動隊員の一員であったとして、投石と、先の罵声のどちらがより深い傷となるだろうかと考えてしまったのである。

『池袋ウエストゲートパーク』

石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫 2001)を読む。
池袋西口を舞台にした若者たちの青春物語である。ミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』の世界観を借りたのか、映画と同様にギャング同士の抗争と友情、恋愛が同時並行で進んでいく。ストーリーは強引なのだが、キャラクター一人ひとりの描き方が際立っており、最後まで一気に読んでしまった。
解説の中で、文芸評論家の池上冬樹氏は次のように述べている。これ以上付け加える必要はないだろう。

本書を久々に読み返してみて、あらためて驚いている。
文章はやわらかいし、イメージは新鮮だし、何よりやわらかな感覚が眩しいくらいだ。なんと若々しい小説であることか!
いうまでもないことだが、若々しさは、作者が若いから生まれるものではない。若々しさは、作者が獲得した対象を見つめる視線の強度と、それを正確に表現できる文章力と、さらにその文章を客観視できる鍛錬から生まれる。

新年あけましておめでとうございます。

関東は概ね穏やかな天候で新しい年を迎えました。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

大晦日の昨日は、ジョイフルホンダに買い出しに行き、子どもの世話に追われながら紅白を眺め、深夜一人お笑い番組をぼんやりと見ていました。いつもと変わらない日曜日の中年の一日でした。。。

昨年2011年は第3子の誕生と引っ越しで忙しい1年となりました。
6月20日の予定だったのですが、逆子が直らず、5月下旬になって市外の病院に転院となり、上の子二人を抱え息する暇もないくらいの慌ただしい駆け足の日々でした。運良く出産前に、真ん中の子を市内の認可外保育院に週5日預けることができ、何とか妻の産後の怒濤の日々をやり過ごすことができました。しかし、その認可外保育園が8月下旬に突然閉園となってしまい、9月以降の育児にかけるエネルギーは、家事を全くしない私にも大きな負担となりました。

また、育児と同時並行して引っ越しの準備に追われました。1〜2年前からあっちこっち見に行っていたのですが、子どもの小学校の入学と考え合わせ、結局は同じ学区から探すことになりました。3月の上旬には見積もりも出来上がり、あとは最終的な返事をする段階までいきました。
しかし、具体的な数字のやり取りが続き明日にも返事をしようかという時に、3月11日を迎えました。家が海に飲み込まれて行くテレビ映像を何度も見ているうちに、土地や家を買う気力もさらさら無くなっていきました。

方丈記にも京都中の家が焼ける安元の大火に際して、鴨長明は「人の営み、皆愚かなるなかに、さしも危ふき京中の家をつくるとて、宝を費し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る」と述べています。

そして、6月下旬にふとポストに投げ込まれたチラシをきっかけに、ばたばたと中古物件の購入が決まり、10月の引っ越しまで慌ただしい日々が続きました。あっちこっちの業者に丁寧な説明や現地での案内をお願いしてきたのですが、最後は全く知らない業者にぽんっと決まってしまいました。住宅ローンの仕組みや、金利の動向など、いい勉強ができました。

仕事も忙しく、公私とも落ち着きなく、今までで一番自分を見失った一年だった気がします。また、3児の父親となり、住宅ローンを抱える身となり、いよいよ人生の折り返し地点を回ったなとも思う一年でした。

しかし、今年も、良い意味で昨年以上に忙しい一年にしたいと思います。人生の折り返し地点はまだ先です。昨年はほとんど読書ができませんでしたが、年間200冊は本を読み、年間100本は映画を見ようと思います。これは読書や映画の時間をしっかりと確保できるよう、健康第一に、生活リズムを整え、仕事も家庭も両立させ、明日への意欲を見失わないということです。