月別アーカイブ: 2007年8月

『69 sixty nine』

夏の15冊目
村上龍『69 sixty nine』(集英社 1987)を読む。
主人公のヤザキくんは女性にモテたいばかりに、1学期の終業式に、ベトナム戦争や管理教育を後押しする〈国家—学校〉権力にアンチを訴え、高校をバリケード封鎖する。そして長期の自宅謹慎を終えて、高校生の高校生による高校生のためのフェスティバルを佐世保の地で計画する。その準備を巡って恋愛や友情、ヤクザ、ロックなどが絡んでくるが最後は大団円で終了する。とにかく自由で、将来は確(しか)と明るく、そして、反体制というアイデンティティを謳歌できた60年代の青春時代を楽しく描く。

アダマ(主人公の友人)は信じている。僕を信じているのではない。アダマは、1960年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。

『今日、ホームレスになった:13のサラリーマン転落人生』

夏の14冊目
増田明利『今日、ホームレスになった:13のサラリーマン転落人生』(新風舎 2006)を読む。
バブル崩壊後、10年にも及んだ不景気、またそれに伴う就職難、苛烈なリストラ、公共投資削減、金融緩和といった煽りを受けたサラリーマンの転落人生を追う。平均以上の収入を得て、家族を養っていたサラリーマンが一転ホームレスになってしまったのは、決して彼らが社会人としての欠陥を持っていたとか、重大な過ちを犯したからではない。倒産、リストラといった不運に加え、早期退職や独立開業などの些細なタイミングミスが重なると、現在の日本ではすぐに路上生活行きになってしまうのである。

今回のケースは全て男性であったが、男性にとって失業は単に収入を失うだけでなく、人間性そのものを否定されるということである。失業のショックで再就職もうまく行かず、また再就職してもこれまで築いてきた自尊心が傷つけられ、家庭生活でも自信を失い、やがては自棄的な生活へと落ち込んでいく。いかに仕事というものが人間の本質に結びついているか、色々と考えることも多かった。
著者はあとがきで次のように述べる。政府や行政、企業経営者の批判までは至らないが、ホームレス問題は対岸の火事ではなく、私たち自身の経済問題であるとの認識を示す。

ホームレスの人たちを見て「自由で気ままな生活はうらやましいよ」とか「義務も責任もないのだから気楽でいいじゃないか」などと言う人がいるが、それは自らが切迫した状況に置かれたことのない者の発言で、ホームレスは常に生命の危険と隣り合わせでぎりぎり生きているのだ。今回、多数のホームレスに話しを聞いたが、彼らの来歴は決して特別ではなかった。今現在の彼らは汚れて悪臭を放ち、みすぼらしく生気のない顔をしているが、現在ではなく過去を見れば、私たちと彼らはまったく同じところにいたのが分かる。世間一般の人びとはホームレスに対して「あの人たちはまともな社会生活のできない欠陥人間なんだ」と異端視し、「ホームレスのような人間と自分は違う」と思いがちであるがそうではないのだ。

『デジタル書斎の知的活用術』

夏の13冊目
杉山知之『デジタル書斎の知的活用術』(岩波アクティブ新書 2003)を読む。
デジタルハリウッドというCGやDTP、プログラミングの専門学校を経営する著者が、忙しい時間をやりくりするためのメールコミュニケーションやスケジュール管理、また映像や音楽、テレビ番組を全てデジタルで処理し活用するノウハウを紹介する。ノートパソコンのバッテリー管理やデータのバックアップなど、著者自身が実際に試行錯誤を経て日々行なっているデジタル活用術なので、大変分かりやすい。
「デジタル」というと人間の感覚を超えた漠然としたものに感じがちであるが、著者はCPU内蔵のレゴロボットを実際に動かしてプログラミングの難しさを実感したり、旧型の機械式ポラロイドカメラをいじることで、アナログな感覚を有する人間とデジタル世界のバランスを取ることが大切だと述べる。

詳細は杉山氏のブログを参照して下さい  sugiyama_style

『さらば外務省:私は小泉首相と売国官僚を許さない』

先日東京新聞(2007年8月3日付夕刊)を読んでいて、先の参議院選挙に「9条ネット」から立候補した元駐レバノン大使の天木直人氏の発言が気になった。天木氏は、2003年8月に当時の小泉純一郎首相へ米国主導のイラク戦争を支持しないよう意見具申した公電を送ったことで実質的な解雇処分を受け、外務省や政府の外交政策を実名を挙げて批判した人物で知られている。その天木氏は東京新聞の記事で次のように発言している。

憲法9条を守らなくてはいかんという強い思いを持ったのは外務省を辞めてからなんですよ。在職時は今の憲法を未来永劫変えないという考え方が果たして国際政治の中で通用するのかと思っていた。少なくとも攻めてきた時には戦わなくてはいかんじゃないか。そのためには軍隊は必要じゃないか。(中略)ところがよく考えてみると、現行の憲法を一字でも変えたら、果てしなく軍備拡大につながっていくのじゃないかと。(中略)特に今の日本の置かれている状況を見た時、アメリカが日本を守るというよりも世界征服のために自衛隊を使おうとしているとしか思えない。今のアメリカのテロとの戦いへの協力は拒否すべきだと思う。

つまり天木氏は憲法9条護持の一点突破こそが、米国追従の日本の政治の脱線を防ぐ求心点だと述べるのである。そしてそれを政策として立案するために参院選に立候補したということだ。

夏の12冊目
そこで、天木直人『さらば外務省:私は小泉首相と売国官僚を許さない』(講談社 2003)を読んだ。

折りしも、昨日付けの東京新聞朝刊に小沢民主党代表がテロ対策特別措置法について、「ブッシュ大統領は国際社会の合意を待たずに、米国独自で開戦した」と指摘し、「日本の平和と安全に直接関係のない地域で米国と共同の作戦はできない」とし、「米国の活動は国連で直接にオーソライズされたものではない」と延長に反対する意向を米国に伝えたという。世界の平和も外交も経済も国連中心主義がよろしく、国連お墨付きの平和活動であれば、9条に抵触しないといった解釈主義が小沢氏の持論であるが、この点については小沢氏はここ10数年あまりぶれていない。93年のPKOの頃では、小沢氏の見解は専守防衛を旨とした平和憲法の9条の精神を大きく逸脱するものだと批判を浴びたものである。しかい、ここ数年の小泉・阿倍内閣における米国盲信の日米同盟の錦の旗の下、テロ対策特別法や有事関連法、自衛隊派遣法の全てがまかり通ってしまう自民党ごり押し政治に比べると、まだ手続きを重視しているだけマトモに見えてしまう。

天木氏も指摘している通り、

CDラジカセ

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今夕、所用で近所のコジマデンキに出掛けた。帰りにオーディオコーナーをふらついていたところ、目についた本日限りの最安値の札のついたCDラジカセを購入した。前々から、子どもが数年後使えるような簡単な操作でありながら、ラジオやCDがまあまあの音で聞けて、マイク無しで声が録音でき、外部入力ができるラジカセが欲しいと思っていたところだったので具合が良かった。本当はMP3が再生できるともっと良かったのだが、6千円のラジカセにそこまで求めるのは現状では難しかろう。
家で「いないいないばあ」や「おかあさんといっしょ」を聞いているが、使いやすさと音の良さに、良い買い物をしたとほくそ笑んでいる。