色川大吉『自由民権』(岩波新書 1981)を読む。
まさに名著といってもよいほどの労作である。1880年代に日本各地で展開された自由民権運動の一つ一つを丁寧に掘り起こしている。小学校レベルの日本史の教科書では板垣退助や江藤新平らによる国会開設運動として自由民権運動は結実したという書かれ方がなされる。しかし、自由民権運動の本流は日本各地で警察の弾圧にもめげずに展開された草の根の市民運動や、秩父、群馬などで抵抗を示した民衆が担ったのだ。しかもその中には現憲法の三大原理をも先取りしたような憲法が提案されている。さらに現憲法成立の過程でGHQ案の草案を、自由民権運動を担った知識人や学者によって作成されているのだ。日本共和国憲法を作った高野岩三郎氏や、森戸事件で有名な森戸辰男氏がそのメンバーに名を連ねているのだ。19世紀後半から20世紀前半にかけての日本に対する歴史観がひっくり返されたような感覚を覚えた。
色川氏は次のように述べる。
(敗戦直後、GHQから日本国憲法を「押しつけられた」という意見に対して)もちろん、本来なら日本人民の手で旧権力を打倒し、みずからの政府を組織し、そのうえでみずからの憲法を創造すべきであったが、敗戦直後の日本国民には、その力が決定的に足りなかった。そのために生じた不幸な事態である。しかし決して、明治憲法のように反動勢力によって人民が押しつけられたものとは性質が違う。たとえ、ささやかな流れであったとはいえ、自由民権以来の伝統が、敗戦後の民間草案などを通して現憲法に生かされ、しかも、その後35年、主権者たる国民の大多数から一貫して支持されてきたということの中に、現日本国憲法の正当性の根拠があるのであって、いつまでも成立事情などによって左右されるものではない。
最後に色川氏は次の言葉を現代に生きる私たちに突きつけている。
憲法問題や防衛問題は勿論のこと、人権や民主主義の原理の問題、土着的、人民的抵抗の思想化の問題、脱亜入欧の問題、天皇制の問題など、自由民権運動の敗北のあと、幾度もの歴史的な試練を経ながら未解決のままに残されたことがらはあまりにも多い。その意味でも自由民権運動はまだ終わってはいない。「歴史」として完結しておらず、現代の私たちに切実な課題としてひきつがれている。