本日アップル社からパワーマックG5とマックOSの10.3が発表になった。10.3になるとUNIX系のアプリケーションが使えるようになるのが嬉しい。そして同時にマック用の高速ブラウザー“サファリ”がやっとバージョン1.0を迎え発表となった。早速ダウンロードしてみたが、これまでにβ版にあった文字化けが一切なくなり快適である。
月別アーカイブ: 2003年6月
『普及版世界文学全集』
清水義範『普及版世界文学全集』(集英社文庫1995)を軽く読む。
読んではいないが聞いたことだけはある『オデュッセイア』やら『マハーバーラタ』やら『デカメロン』といった作品のパロディである。パロディであるがゆえに、原作を読んでいないので面白くなかった。
最近仕事で、小論文の添削やら、大学入試問題ばかり解いているので、家に帰って本を読む気が起きない。10冊くらい途中まで読みかけの本がたまっている。
『愛の飛鳥路殺人事件』
山村美紗『愛の飛鳥路殺人事件』(徳間文庫 1999)を読む。
奈良へ旅行した際に買ったものだが、読むだけ時間の無駄であった。
『生きる読書』
群ようこ『生きる読書』(角川oneテーマ21 2000)を軽く読む。
特にコメントはない。あっちこっちに書き散らしたコラムをまとめただけの代物。
「反戦」?
本日の東京新聞の夕刊コラムを読みながら、反戦運動について少し考えた。
反戦プロジェクトVIDEOACT!という団体のホームページに全国高校生平和大集会の模様の動画がアップされている。「飼育」されているだけの高校生が多い中で、反戦の声を挙げようとすること自体に意味があることは確かだ。しかしそのスタイルといい、アピール内容といい80〜90年代の学生運動のスタイルの踏襲に過ぎない。ちょうど私の学生時代に、フランスの核実験に反対するデモが組まれた時、シュプレヒコールはださいからラップでいこうと、「シ、シ、シラク、シラクでしらけてカクジッケーン」と奇妙なデモコールが試されたことがあった。大文字で「反戦運動」というと古くさいから手法を変えようとする試みは80年代以降の反戦運動が抱えている一つのジレンマであろう。そしてその高校生集会デモの中身は、議論となることもない「きれいな主張」である「ラブ アンド ピース」の一点張りである。
東京新聞の夕刊の「大波小波」と題されたコラムに次のような意見が寄せられている。
ピースボートの吉岡達也は、今回の「反戦」という言葉へのアレルギーが払拭されていたのに驚いた、という。70年代の連合赤軍事件や内ゲバのトラウマで、市民運動もまた、反戦という表現から30年間「逃げ回っていた」が、いまの若者はとらわれなく「反戦デモをやりたい」と電話してくるそうだ。
震災ボランティア以来の「行動への欲求」が噴出していると見られるが、それが本当に思想的な強さと普遍性を持てるかは、アメリカがもし北朝鮮を先制攻撃したときに、反戦を言えるかどうかにかかっているだろう
確かに、北朝鮮