「反戦」?

本日の東京新聞の夕刊コラムを読みながら、反戦運動について少し考えた。
反戦プロジェクトVIDEOACT!という団体のホームページに全国高校生平和大集会の模様の動画がアップされている。「飼育」されているだけの高校生が多い中で、反戦の声を挙げようとすること自体に意味があることは確かだ。しかしそのスタイルといい、アピール内容といい80〜90年代の学生運動のスタイルの踏襲に過ぎない。ちょうど私の学生時代に、フランスの核実験に反対するデモが組まれた時、シュプレヒコールはださいからラップでいこうと、「シ、シ、シラク、シラクでしらけてカクジッケーン」と奇妙なデモコールが試されたことがあった。大文字で「反戦運動」というと古くさいから手法を変えようとする試みは80年代以降の反戦運動が抱えている一つのジレンマであろう。そしてその高校生集会デモの中身は、議論となることもない「きれいな主張」である「ラブ アンド ピース」の一点張りである。

東京新聞の夕刊の「大波小波」と題されたコラムに次のような意見が寄せられている。

ピースボートの吉岡達也は、今回の「反戦」という言葉へのアレルギーが払拭されていたのに驚いた、という。70年代の連合赤軍事件や内ゲバのトラウマで、市民運動もまた、反戦という表現から30年間「逃げ回っていた」が、いまの若者はとらわれなく「反戦デモをやりたい」と電話してくるそうだ。
震災ボランティア以来の「行動への欲求」が噴出していると見られるが、それが本当に思想的な強さと普遍性を持てるかは、アメリカがもし北朝鮮を先制攻撃したときに、反戦を言えるかどうかにかかっているだろう

確かに、北朝鮮

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