『患者よ、がんと闘うな』

過日、慶応大学医学部放射線科講師である近藤誠『患者よ、がんと闘うな』(文芸春秋社)を読んだ。
がん検診による早期治療や抗がん剤治療を統計学的に無意味なものと断定し、手術偏重主義から脱却し、放射線治療の利点を主張するものだ。専門用語の羅列に終わらず文系の私でも十分に理解できる分かりやすい文章であった。しかしタイトルからも分かるように総じて仏教的厭世観がペーソスに流れている感がある。

私は医療で一番大切なことは、だれ一人として後悔しないし後悔させないことだ、と考えています。せっかくよかれと思ってつらい治療をうけたのに、あとで後悔するのはでは悲しすぎるではありませんか。その場合、後悔したのは、現状認識や将来予測と治療の結果とが食い違ったためです。したがって後悔しないためには、がん治療の現状を正確に知り、がんの本質を深く洞察することが必要になるのです。

これまで患者や家族が悲痛にあえいできたについては、がんと闘う、という言葉にも責任があったように思われます。つまりこれまで、闘いだから手術や抗がん剤が必要だ、と考えられてきたわけですが、そのために過酷な治療が行われ患者が苦しんできた、という構図があります。しかし考えてみれば、がんは自分の体の一部です。自分のからだと闘うという思想や理念に矛盾はないのでしょうか。徹底的に闘えば闘うほど、自分の体を痛めつけ、ほろびへの道をあゆむことにならないでしょうか。

がんは老化現象ですが、それはいいかれば”自然現象”ということです。その自然現象に、治療という人為的な働きかけをすれば、からだが不自然で不自由なものになってしまうのは当然です。どうやらわたしたちは、思想や理念のうえで、がんと闘うという言葉から脱却すべきところにきているようです。

またそのように腹をくくったほうが、専門家にすがって無理に治療されてしまうより、長生きできることも多いのです。要するに、治らないことを素直に認めないと、長生きもできないし、楽にも死ねないわけです。

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