栃木県の下都賀地区の教科書採択協議会が扶桑社発行の「新しい歴史教科書」を採択する方針を固めたことに関して、栃木県教職員組合が同県教育委員会に申し入れ書を提出した。これは同教委が教科書選定の際に役立つように作成した資料において、学習指導要領の目標に明記された「国際協調の精神を養う」という観点が対象外とされていた問題の理由を質すというものだ。実際に下都賀地区教科書採択協議会が「新しい歴史教科書」を採択した背景に、「国際協調」の観点がなかったことが有利に働いたという指摘もあるという。
私はこの記事を読むに、議論の方向性はさておいて、議論自体のあり方は正しいことだと考える。かつての家永教科書裁判において眼目のひとつに、教科書を国が決めるのではなく、地域で議論しながら採択をしようということが挙げられていた。確かにまだ検定制度は悪しき形で残っているが、しかしこのように地域レベルで教科書の採択を巡ってもめるというのは10年前に比べ民主的だと考える。
扶桑社の「新しい歴史教科書」を実際に手にしてみたが、神話の話や人物にスポットを当てた記述スタイルは中学生にとって確かに「読みやすい」ものだと思う。扶桑社の教科書の内容如何は個人的には賛同しかねるが、問われるべきは国・地域・教育現場レベルでの歴史観を巡る真摯な運動である。逆に考えれば、平和憲法の歴史的な成立過程、差別・抑圧の構造的理解、闘争から生まれた労働者・女性・児童の人権確立など、教科書の暗記に埋没しない活きた歴史教育が盛り込まれた教科書を、そして教科書運動を創っていけるチャンスだと思うのだ。
韓国の金大中大統領は日本との民間レベルでの交流も凍結する考えをもっているようだが、これを否定的に捉えずに、歴史認識の共同化の第一歩とする取り組みが問われるだろう。
尹健次『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書)の最後に次の一節がある。
しかしそのためには植民地支配、そして分断をよぎなくされた朝鮮半島の歴史をふりかえり、とりわけ日本・日本人にとっての朝鮮・朝鮮人の意味を問うことが不可欠ではないでしょうか。そこから、若い人たちが、「過去の清算」のために「戦後責任」という思想をしっかりと身につけていくとき、日本人と朝鮮人がともに生きていく道が大きく開かれていくはずです。それはまた、この地球上のすべての人たちが共生・共存していく道にも、確実につながっていくはずです。「ともに生きる」とは「ともに闘う」ことなのです。