と学会著『トンデモ世紀末の大暴露本』(イーハトーブ出版)を読む。
早稲田にあった「たま出版」の本が評価されていた。最近「普通でない」ものを嗤うことを意図した雑誌やテレビ番組が多いが、行き過ぎは怖いなと思う。情報化社会と呼ばれる中、価値観の多様化が言われるが、これは同時にちょっとひねくれた視点で物事を見れば、様々なものが自らの価値観・フィーリングに合わないということで、嗤いになってしまうのだ。
上記の点は現在の日本語における形容詞に単純化に置き換えて考えることができるのではないか。平安時代の貴族の日本語の形容詞はまさに多種多様である。快・不快の表現一つとっても様々な言葉がある。例えば「不快である」という表現は、中古の言葉では「うし・うたて・うとまし・うるさし・わづらはし・からし・むつかし・こころづきなし・こころぐるし…」と何語も思い浮かぶ。しかし現在の若者の話し言葉で同意の表現というと「うざい・きもい…」と中古に比べかなり少なくなっていると考える。このことは自分達と「ちがう」ものに対してあからさまな排除を決め込んでしまう態度に依拠しているのではないだろうか。価値観・生活のちがうものを十把一絡げにカテゴライズしてしまう傾向は人間には少なからず誰しもあるものだが、この傾向が年々ひどくなってきている。いわゆる「ホームレス」問題、在日外国人問題、「障害」者問題を考えていく上で、我々の使っている日本語の形容詞にもっと深い配慮が必要となってくるのではないか。
今日は久しぶりにバイクでツーリングに出かけた。栃木の山奥の林道からさらに山深く入っていった。日中ずっと走っていたので、思いっきり腕が灼けた。先日ホームページ作成ソフトであるアドビのゴーライブ5.0を買ったので、ツーリングレポートを作ろうと思うのだが、説明書を読みこなすだけで骨の折れる作業である。