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『登山入門』

近藤信行『登山入門』(岩波ジュニア新書,1982)をパラパラと読む。
著者は登山の専門家ではなく、登山関係の著作も多い文芸評論家である。そのため登山の際の装備や地図の読み方、岩登りの技術といった実技的な内容だけでなく、登山の歴史や古くは万葉集にみられる山の叙情などについても詳しく書かれている。

現在は登山というと、観光や健康という側面が強いが、ロッククライミングのようなタイムを競うスポーツ競技も含まれる。こうしたスポーツクライミングの原点は、19世紀半ばの大英帝国時代のアルプス山脈攻略に始まる。イギリスを中心に19世紀後半には、アラスカや南米大陸、カフカス、ヒマラヤ、カラコルムや中央アジア、アフリカなどに遠征が試みられるようになる。なかでも、当時のインドはイギリスの統治下であり、ヒマラヤ山脈にはイギリスの登山家だけでなく、欧州各国の探検隊や、軍人や科学者まで送り込まれ、やがて無酸素登山や岸壁直登のアドベンチャ時代へ受け継がれていく。

深谷商業高等学校記念館(二層楼)

所用で深谷商業高校に出かけた。1922年(大正11年)、学校創立の翌年に建てられた旧校舎(二層楼)は、2000年に国の登録有形文化財の指定を受け、創建当時の色合いで塗り直されて、深谷商業記念館として保存されている。建てられた年に渋沢栄一が講演を行った場所としても知られ、市のシンボル的存在ともなっている。

得てしてこうした記念館は保存・公開がメインとなり、一般の使用は禁じられる傾向が強い。しかし、この二層楼は、平日は会議や講義などで利用し、日曜日のみの一般公開となっている。現在も生徒や教員が使用している「生きている校舎」という位置付けが評価できる。

『笑えるクラシック』

樋口裕一『笑えるクラシック:不真面目な名曲案内』(幻冬社新書,2007)をパラパラと眺める。
詳しくは覚えていないが、何かの話のネタにと新刊で購入して、そのまま積ん読になっていた本である。小論文指導で有名な樋口裕一氏の手によるものである。生真面目に肩肘張って聞くクラシックではなく、作曲家自身もユーモアを込めて作った作品もあり、そうした笑える作品を気軽に味わってみようという入門書である。さすが小論文指導を専門としている著者だけに、読みやすい文章であったが、内容に全く興味がわかなかった。

『教養のためのブックガイド』

小林康夫・山本泰『教養のためのブックガイド』(東京大学出版会,2005)を読む。
『知の技法』から続く東大教養学部の教員による学問の入門書シリーズである。
では、いったい東京大学の教養学部が目指す「教養」とは何なのか。動物行動学が専門の長谷川寿一氏は次のように述べる。

いうまうでもなく、教養を持つことに、即時的な効用があるわけではありません。人間がチンパンジーグループの一員だと知ったところで、それを知らないときと比べて、生き方がすぐに変わるということはありません。

では、雑学と教養はどこが違うのか。明確な線引きは難しいのですが、雑学は個別の知識の集合であるのに対して、教養は普遍的な知の体系、あるいはそれを目指す姿勢のことだと思います。何かを知っているだけの雑学では、評価や意思決定を要しませんが、教養には物事に対してそれを記述するだけでなく、それをどう評価付け、判断するかが問われます。シャークスピアの全作品の名前を列挙するだけならば雑学の域を出ていないかもしれませんが、それぞれの作品を関連付け、その背景や意義を説明できる知識(あるいはそれを知りたいという姿勢)はたしかに教養と呼べるでしょう。

同じく長谷川寿一氏が指摘しているのだが、人間の知的能力や精神は10万年前のアフリカで生活していた頃からほとんど進化していないことが分かっている。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは遺伝子が異なり、生物学的な進化をしているが、10万年前も現在も同じホモ・サピエンスで、同じ遺伝子を受けて継いで生まれているのである。でも、私たちは10万年前から知的能力が格段に進化していると勘違いしている。生まれつきの能力は同じなのである。違いは後天的な成長や学習に拠るものである。その一点だけ分かっただけでも、本書を読んだ価値があった。

『上野千鶴子が文学を社会学する』

上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社,2000)を読む。
かなりボリューミーな内容であった。坪内逍遥や二葉亭四迷の作品分析に始まり、有吉佐和子や佐江周一の作品における核家族論、江藤淳、永山洋子まで幅広い。

文学作品を例に取りながら、女性が「女性性」に閉じ込められている事実を一つ一つ分析しながら、そうした「女性性」からの解放を訴える。

しばしば誤解されているようだが、(ウーマン)リブは「新左翼の女性版」では決してない。(中略)1969年1月に安田講堂が陥落し、全共闘運動が最期を迎えたあと、(中略)挫折した新左翼の運動家たちが、女と日常へと回帰しようとしたときに、「日常」そのものを戦いの場として、女たちの「愛と性の革命」は始まったからだ。

また、現在の小説でも女性のセリフには、「あたし」「〜わ」「〜よ」といったように、日常会話では使わない言い回しが用いられる。著者は「男言葉を標準化した近代国語の中では、女言葉は回りくどい『しるしつき』の言語にほかならなかった」と述べる。

また、『恍惚の人』や『黄落』などの老人介護文学を取り上げ、94歳の老父が80代の老女と恋仲になる場面を通じて、次のように述べる。

他人なら寛大になれることでも、家族だから許せないこともある。近代家族とは、親が子に、子が親に、性的な存在であることを許さない装置でもある。人生の最後に、親が親であることから解放してあげるためには、他人の手が入ることもまたよしとしなければならない。

私は知らなかったのだが、国語の教科書にも登場する尾崎放哉の紹介が興味を引いた。「せきをしてもひとり」「墓のうらに廻る」の句で有名な尾崎放哉は、厭世的なダメ人間のような勝手なイメージがあったが、実は一高・東大を出て保険会社のエリート社員となり、朝鮮や満州をわたった後、内地に引き揚げ、妻と別れて無一文になり一燈園に入り、仏教に帰依し、42歳で亡くなるという波乱万丈な人生を送っていたのだ。