社会運動」カテゴリーアーカイブ

amlからの転載です

1977年に横浜市北部に墜落した米軍機墜落の事件に関しての集会のお知らせです。数キロ離れた自宅まで煙がやってきたことを、断片的であるが今でも覚えている。「パパママバイバイ」という本に事件の経過は詳しく書かれており、本を手にした当時小学生ながらに、犠牲者の皮膚移植手術の苦しみへの同情と同時に、手を振りながらパラシュートで緊急避難した米軍兵への怒りを覚えた。

関係ない話だが、私の氏名でインターネットに検索をかけると未だに私の過去のamlへの投稿が出てくるのはどうにかならないのだろうか。

神奈川:☆★吉池 俊子です★☆
安保と自衛隊を考える上で、決して忘れてはいけない米軍機墜落事件の集会のお知らせです。

転載・転送歓迎。重複して受け取られる方お許し下さい
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   ■■■ 土志田和枝さんを偲ぶつどい ■■■
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米軍機墜落事故の犠牲者土志田和枝さんが逝って21年。 
墜落事件の真相を求めて、米軍と日本政府を被告として裁判に訴え、勝利判決を得て、『安保に風穴をあけた男』と呼ばれた椎葉寅生さんが講演します。

報 告 : 「墜落事件から25年を振り返って」  平和資料センター
講 演 : 椎葉寅生さん(墜落事件の被災者)
日 時 : 1月19日(日)13;30〜15;30
場 所 : 横浜市都筑公会堂第一会議室(都筑総合庁舎内)
      (地下鉄「センター前」下車3分)
主 催 : 横浜・緑区米軍機墜落事故平和資料センター
          (045−933−3954 斎藤)
資料代 : 300円

同時開催 : ■■米軍機墜落事件を追って25年■■
        ――内藤嘉利写真展――(入場無料)

メール転載

以下の緊急署名にご協力をお願いいたします。
なお秋季行動のビラは署名欄サイトに掲載中です。
政府の修正をしてまでの成立への工作に関しては以下の精労協のサイトに批判も含め掲載中です。

以下転載・公開大歓迎 HPをお持ちの方は是非ご掲載をお願いいたします。
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以下の緊急署名にご協力ください。

政府は、継続審議になっていた「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」の臨時国会での審議、成立を目指しています。

このいわゆる「心神喪失者等医療観察法案」は、殺人、放火、強盗、強姦・強制わいせつ、およびそれらの未遂または傷害にあたる行為を行い、心神喪失又は心神耗弱であるとして不起訴処分、無罪判決ないし執行猶予判決を受けた人に対し、「再犯のおそれ」を理由に特別な施設へ強制的に入所させ、隔離収容しながら強制的に治療を受けさせるもので、その期間も上限も定めがありません。政府はこの法案成立のため修正案の提案を含め反対している野党の切り崩しを図っているところです。法案をめぐる状況は危機的であり、強行採決すらありうる情勢です。

私たちは廃案の声を示していくため緊急に以下の署名を呼びかけます。第1次集約は11月11日です。以下に賛同してくださる方は下記連絡先にお名前、肩書き、連絡先をご連絡ください。緊急ですのでできるだけメールあるいはファックスでお願いします。

署名本文

いかなる修正も許さず、私たちは「心神喪失者等医療観察法案」の廃案を求めます。

呼びかけ人
足立昌勝(関東学院大教授) 池原毅和(全家連顧問) 市野川容孝(社会学者) 大杉光子(弁護士) 岡田靖雄(精神科医) 富田三樹生(日本精神神経学会・精神医療と法に関する委員会委員長) 中島直(全国精神医療従事者連絡会議事務局) 森泰一郎(全障連関東ブロック) 八尋光秀(弁護士) 龍眼(陽和病院患者協会会員)

署名集約先
電話   090-4223-1092 大賀
FAX   03-3924-6646 陽和病院労働組合
メール  kyodou-owner@egroups.co.jp
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以上

amlより転載

こんな社会はもうイヤだ 治安と管理の現在を考える討論会へ!
発題:宮本弘典さん(関東学院大学教授、刑法)
・8月18日(日)午後3時〜
・日本基督教会館6階(地下鉄東西線早稲田駅下車)

会場費400円今の社会は果たして「自由」なのか? 確かに100年前と比べれば格段に「自由」になっている様に思える。私たちは、昔よりは自分の意志でもって行動し、色々な生き方をすることができうる。

だったらこの社会は、いい社会なのか。そうも言い切れない気がする。いや、むしろ最近では、そう思えないことのほうが多くなっていないだろうか。
日本社会は出口なしの不況にあえいでいる。これから抜け出るために国家や財界は必死である。働く人たちも職を確保するのに懸命である。社会に余裕がなくなりつつある。
そうすると弱い者から切り捨てがはじまる。監獄や精神病院では、収容されている人をますます閉じ込めておこうという動きが出ている。具体的には、無期懲役囚を終身刑化していくことであったり、心神喪失者医療観察法案という名の新たな保安処分の導入である。

また、過激派・暴力団・オウム・「三国人」など、少数派に対する圧力も厳しくなっている。普通では考えられない微罪での逮捕など、当たり前。その団体に属していたり、属性を持っているだけで犯罪、といわんばかりのような状況ができている。

その一方、みんなに等しく管理の輪がかけられつつある。この8月5日に施行予定の住民基本台帳ネットワークでは、日本国民全員に11桁の番号が割り振られ、個人情報を国家が集権的に管理する時代がはじまろうとしている。
そして、最大の人権侵害である戦争、これに国民を動員する有事法制を制定しようという強い動きがある。

ここにも書き切れないことが沢山あります。こうした動きをどう捉え、どうしていけばいいのか。まずは、自分にとって身近なことから考えていけばいいと思いますが、では全体として社会はどういう方向に行こうとしているのか? それを考える場を持ちたく、呼びかけます。

第1回目は、関東学院大学の宮本さんからお話を頂き、討論していきたいと思います。こうした場を何回か持ち、より大きな輪を作り出していきましょう。ぜひご参加下さい。

呼びかけ人:のびた(救援連絡センター)、ぺぺ長谷川(交流家)、なすび(山谷労働者福祉会館)、星山京子(牧師)、小田原紀雄(牧師)
連絡先:救援連絡センター( 03-3591-1301、kyuen@livedoor.com)

「心神喪失者医療観察法案」

友人から「心神喪失者医療観察法案」の国会上程についてのメールが来たので少々紹介したい。

今国会に心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」(心神喪失者医療観察法案)が上程され、審議入り間近の状況である。この法案は「観察」と名打っているが、実際は「精神障害者」の監禁という性格を持つ。この法案は違法行為を行なったとされる精神障害者が心神喪失を理由に裁判にならなかったか、あるいは無罪等の判決を受けたときに、再び同様の行為を行なうおそれがあるとされれば、最長5年の通院、もしくは無期的な入院措置が強制的に行われるというものだ。そもそも「精神障害」の定義づけすら誤解を生じている中、将来にわたって一人の人間の犯罪を行なう可能性を予見することなど不可能である。また証人申請の権利すらも認められていないなど、防御権が保障されていないので、拡大解釈によって対象が無限に広がってしまう。「推定無罪」という刑事訴訟法の原則すらも踏みにじるこの法案は、「精神的疾患」が原因となった犯罪の増加という面からのみ考えるのではなく、組織的犯罪対策法、有事法整備、住民基本台帳改悪=国民背番号制などと一緒に捉えていく必要がある。

詳細は現代書館刊フォービギナーズシリーズ『精神医療』の著者である長野英子さんのホームページを拝見ください。

救援連絡センターHPより

救援連絡センターという弁護士事務所のホームページにいい文章が載っていた。転載してみたい。

私は、1990年代の初頭から中盤にかけて早稲田大学の学生だった。入学当時はバブル経済の末期に当たるが、誰も今の不況が到来するとは夢に も思っていなかった。フリーターという言葉が当たり前のように定着し、その日暮らしでもなんとかなるような気がしていた。社会全体が浮ついていたという感 があった。多くの学生は「大学に入って、学問を究めるぞ」とも思っていなかった。学生生活の中心はサークルやその他自主的な活動であった。

早稲田大学に数多くあるサークルの部室は、キャンパス内建物の地下にあったり、ラウンジや学生会館の中にあった。地下部室は現在、大学当局に よって封鎖され、立ち入りできなくなってしまっているが、それはほぼすべての地下に存在し、まるで迷路のような空間を形成していた。何年前あるいは10年 以上前に貼られたり書かれたと思われる各種ビラや落書きの洪水、昼でも薄暗い廊下、ヒンヤリと、そして少し湿った空気が漂う、特殊な空間だった。建物の上 では、大学が決めた要項、時間割りに則って退屈な授業が行なわれているのに比べて、圧倒的な存在感があった。「すごいところだな」と思ったのをよく覚えて いる。そしてさらに驚いたのは、そこがもともと部室として大学から与えられたものではなく、倉庫やゼミ室であったところを60年代頃から学生が占拠した場 所だったということである。以来、当局との力関係の緊張感の中で維持されてきた空間だったのである。ヨーロッパなどで、自分たちの生きる空間を自分たちで 創り出すために行なわれているいわゆるスクワッティング(空き家占拠)に通じるものを感じる。

今の日本の社会状況の中で、国家権力の手がストレートに及ばない、自律した領域はますます狭められている。それは単に空間的な問題だけではな い。個人の生き死にや、内面までが管理の対象とされている。権力の側からすれば、それだけ余裕がなくなってきているということなのだろう。そんな中で、こ れまで大学という場は、「学の独立」「学問の自由」という美名のもとで、一定は自律した領域として存在してきた。社会からも「学生さんだから」という目 で、便宜をはかられたり大目に見られたりしてきたのである。しかし、バブル経済崩壊と関連しているのだろうか、社会が閉塞感を強める中で、大学という場も 変わりつつある。最近では、東京大学駒場寮に明け渡しの強制執行、早稲田大学では既存のサークルスペースの使用停止と新学生会館への強制移転という事態が 進行している。

今回、大学当局が踏み込んできた背景には、一つには当局の側に余裕がなくなってきていること、もう一つには「もうそろそろ手を下しても大丈夫 だろう」という自信があったと考えられる。そして当局は、大学としての生き残りをかけて本気でやってきた。それに対抗する側が圧倒的に押され気味である。 どうしたら、すぐにでなくても事態が打開できるのだろうか。

学生たちの多くは四年プラスマイナスアルファで関わりをたつが、当局はずっと存在し続けるわけで、大学という場所に対するモチベーションは当 局のほうが断然強い。そんな力関係の中で、学生たちが本当の意味で当局に「勝つ」には、自分たちが作り上げてきた「自律した空間」が社会的にどう意義があ るかを検証した上で、どのように社会ときり結んでいくかという問題意識が大切ではないだろうか。また、大学という場を離れた私にとっては、ある種特権的な 場所だったとは言え、少なくともあの地下は、現在の主流の文化(そしてその裏にある価値観)に対する対抗的な意味を持っていた。そこで培われたものを、実 際の社会の中でどう実現していくかが、より困難ではありそうな今後の課題である。(9月30日)