『その食事ではキレる子になる』

鈴木雅子『その食事ではキレる子になる:心と脳はこんなに食べ物に影響される』(河出書房新社,1998)をパラパラと読む。
栄養関係の本でありがちな、「あれはダメ、これはダメ」といった内容がずーっと続くので、読む気を無くした。次の一節が気になった。私の家庭を見透かしてる?

もう少し具体的にいえば、朝はパンとコーヒー、牛乳、レタス、ハム、昼は給食や弁当か、インスタント食品中心のメニュー、夜はハンバーガー、ミートボール、ハム、ソーセージ、焼肉、刺し身、カレー、から揚げ、生野菜といったものではないでしょうか。
そのほか、次のようなことも思い当たるはずです。夕食に弁当屋さんやコンビニエンスストアの弁当を買ってきて食べさせたり、休日の朝は、家族でファストフードの店やファミリーレストランに食べにいく。魚は内臓を出すのが面倒だし、おっくうだから、一匹のまま買ってこない。切り身か、ほとんど刺し身。キンピラや野菜の煮物などは子どもが食べないからつくらない。
食生活の内容が、このように変化してきた大きな原因は、もはや家庭で食事の大切さが語られず、学校教育においても、それは成績を上げるための教育をおこなうのに時間のムダになりこそすれ、役に立たないものと切り捨てられてきたことがあげられます。

『発言』

久野収『発言』(晶文社,1987)を3分の1ほど読む。
著者の久野氏は1910年生まれで、27歳のときに治安維持法で逮捕されている。特定の政党や党派に属することなく、『思想の科学』の編集長やベ平連の思想的指導者として活躍されていた。1993年には現在も刊行されている『週刊金曜日』の創刊にも関わり、亡くなるまで編集委員を務めている。

資本主義vs共産主義や右翼vs左翼といったイデオロギーとは一線を画し、市民という立場で「市民的自由」や「市民社会」の実現について提言している。また、1980年代、レーガンや中曽根時代に持ち上がった戦争問題について次のように述べる。40年前に書かれたものとは思えないほど、現在のマスコミやSNSで議論されている「戦争」について言い当てている。

それと、戦争ブームを支えていくもう一つの要素は、やはりゲームの技術と理論の面白さでしょうね。もちろん、ゲームは戦争だけに限られるものじゃなくて、スポーツや娯楽のようなものにもいろいろな形で現われるけれど、このゲームに人間がものすごくとらわれるというのは一体人間のどういう本性なのか、という問題も、まだ解かれていない。だから、ゲームの技術と理論が面白くてゲームを愛好するのが、戦争を愛好していると言えるか。戦争とゲームとのあいだには非常に深い共通の根があるけれど、必ずしもこの二つは同じものじゃない。ぼくはいまの連中が愛好しているのはゲームであって、そのゲームがたまたま”戦争”のゲームだったという結果じゃないかという気がする。戦争の体験がないから、それもゲームの一種として楽しんでしまえるという段階にあるんじゃないかと思う。

『キリマンジャロの雪が消えていく』

石弘之『キリマンジャロの雪が消えていく:アフリカ環境報告』(岩波新書,2009)を読む。
タイトルだけ読むと、地球温暖化がテーマの環境問題の啓発かと思うが、気候変動だけでなく、人口増加や経済格差、天然資源、農業問題など多岐にわたるテーマでアフリカの貧困にアプローチしている。著者も朝日新聞編集委員を経て、駐ザンビア特命全権大使や国連環境計画(UNEP)上級顧問を務めるなど、実際にアフリカで生活をする中で、アフリカの困難な状況を分かりやすく伝えている。

タイトルにもあるキリマンジャロの山頂氷河であるが、地球温暖化ではなく、乾燥化が大きな原因であるとの研究もあるようだ。ドイツの地質学者ハンス・メイヤーの研究グループは、たとえ気温が上昇しても、頂上の気温は常に0度以下のために氷の融解は起こらないと主張している。シュミレーションの結果、氷河の容積減少の65%までが、氷が直接蒸発する昇華によって起きているという。

スラムという言葉は、19世紀にロンドンで使われるようになったという。職を求めて都会に出てきた労働者が集まった貧困地域のことだった。サハラ以南のアフリカはスラムの爆発地点である。都市人口に占めるスラム人口の割合は71.8%に達し、南アジアや東アジアを大きく引き離している。アフリカの最大のスラムは南アフリカのソウェトである。South-Western Town-shipsの名の通り、ヨハネスブルクの南西に位置する。ネルソン・マンデラ元大統領もソウェトの住人であった。

アフリカ大陸では1960年代末ごろから干ばつの頻度が激増している。この背景には森林破壊があり、保水力を失った森林が「緑のダム」の役割を放棄し、雨が少なければ干ばつ、多すぎれば洪水を引き起こすため、同じ国で干ばつと洪水が同時に被害を出すことさえある。

過去30~40年間、アフリカでは何百万人もが、人口増加、土壌汚染、自然災害、紛争などのために、乾燥地や高地、湿地など生態系の脆弱な土地への避難や移動を余儀なくされている。そうした避難民が住み着くことで、砂漠化や土壌侵食、生物多様性の喪失など新たな環境問題を引き起こすことになった。こうした連鎖的に発生する環境難民の8割はアフリカに集中している。

石油やダイヤモンドの陰で目立たないが、木材の違法伐採や違法取引も横行する。マホガニーやマコレといった熱帯産の硬材は、構造材や窓枠、扉枠、家具材、額縁材などに用いられる高級材である。貧困層の多いアフリカでは、違法木材の取引が紛争の資金を支えることもある。

2009年以降、現在も日本が自衛隊を派遣しているソマリアの海賊行為であるが、グリンピースは外国船による魚の略奪と汚染こそが「海賊行為」だと非難している。ソマリアはアフリカで最長の3200キロもの海岸線を持ち、豊富な漁場を抱えている。しかし、1991年の内戦によって政府が崩壊し、無政府状態が今日まで続いている。それをいいことに勝手に漁業権を外国の水産会社切り売りしたり、スペインなどのEU諸国、中国、韓国、タイなどの外国漁船が殺到したりが続いている。ソマリア暫定政府が申し入れをしてもほとんど無視されてきた。そこで、自力で外国船を追い払うために漁民は武装した。そこに、失業した沿岸警備隊員や武装勢力が加わって海賊集団に発展したといわれる。

アフリカ各地に国立公園や保護区の指定が急ピッチで進んでいるが、歴史的に旧宗主国が指定したものが多い。その際に、保護区内で生活していた地元民を追い出した。そうした人々は強制的に締め出されてきたが、場所を変えて同じ保護区内で生活するか、保護区域の境界線に集落を作って保護区内の資源に頼って生活するしかない。

穀物飼料の乏しいサハラ以南アフリカでは牛が2億3500万頭、ヒツジ2億6600万頭が放牧され、1961年以来2.2倍に増えている。家畜は草や低木を食い尽くす。とくに、ヤギは根から掘り上げるように食べるので草は再生できなくなる。すると、地面を押さえつけていた草木が失われて砂が動きだす。それが砂丘になると手の打ちようがない。乾燥化が進むにつれて、家畜の中でもっとも水不足に強いヤギが増やされていく。こうなると悪循環の輪が回りはじめる。

赤潮の原因なっているプランクトンは、トリコデスミウムというラン藻類である。海水中に鉄分が多く含まれると、このラン藻が大発生して赤潮となる。砂塵には鉄分が含まれ、砂塵の飛来量が多かった直後に赤潮が発生することから、その原因と目される。トリコデスミウムが大発生すると、海が赤く染まる。アフリカに近い紅海では頻繁にこのラン藻が原因の赤潮が発生するため、Red Sea(紅海)と名付けられたほどである。

アフリカの土壌は、雨季の雨水に洗い流され、激しい蒸発によって、地中から塩分、鉄、アルミニウムが押し上げられ酸化した赤味を帯びた土になる。熱帯に多い「紅土」といわれうラテライト土壌だ。ラテン語でレンガを意味する「lateres (ラテレス)」が語源であり、アフリカの乾燥地で多く使われる「日干しレンガ」の原料に適している。だが、農業には不向きで焼畑や山火事で熱せられると硬く締まって、耕作が続けられなくなる。

水不足解消のために井戸の援助が盛んだ。だが、サヘル地方などの乾燥地帯では、井戸が掘られると、家畜に飲ませる水を求めて苦労している遊牧民や移牧民が、その周辺に家畜の大群とともに住み着いて砂漠が広がる。ニジェールやマリでは、井戸を中心にできた円形の砂漠が人工衛星写真でも確認できる。

『パール判事』

中島岳志『パール判事:東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社,2007)を読む。
著者は大阪外国語大学外国語学部地域文化学科ヒンディー語専攻を卒業し、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了され、北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授を務めている。本書も法解釈に踏み込むのではなく、東京裁判で有名になったパール判事の生涯に迫る人物伝ともなっている。

途中読み流すところもあったが、著者の伝えたいことが最初に示され、それを例証するパール判事の生い立ちや東京裁判の判決書、その後の日本国内の動きを通して、繰り返し説明されるので分かりやすかった。

1945年7月26日に出され、8月14日に日本が受諾したポツダム宣言の第10項には「我等の捕虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」と示されている。しかし、「戦争犯罪人」に規定もなく、誰が処罰を加えるのかも決まっていなかった。現在であれば、国連が戦争の当事者ではない第三者機関として司法の人道に対する罪、戦争犯罪に問われる個人を訴追する国際刑事裁判所がある。しかし、極東軍事裁判(東京裁判)では、戦勝国である連合国が当時の国際法にはなかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」を持ち出し、敗戦国の日本を裁くことになった。

これは、いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる厳罰を加えるかは、あらかじめ法律によって定められていなければならないとする、近代法の根本原理の一つである罪刑法定主義の原則に関わる問題である。この罪刑法定主義に則する限り、行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、のちに制定された法律によって処罰することは厳禁である。「事後法」による遡及処分は、法によって支えられる秩序を根本から覆しかねない。

パールはこのような裁判は「単なる権力の表示のための道具」となると厳しく批判している。戦争に勝ちさえすれば、自分たちの思い通りに裁判を行うことができるという誤ったメッセージを世界に敷衍し、その結果、侵略戦争をしてはならないという意識よりも、戦争に負けると酷い目にあうという意識だけを高めることになってしまう。政治的意図が法の原則を蔑ろにすることこそ、侵略戦争の再発につながると訴え、その行為を「反文明」的であると批判した。

一方で、パールは通例の戦争犯罪を東京裁判で裁くことは積極的に容認した。彼は「南京大虐殺」や「バターン死の行進」をはじめとする日本軍の「残虐行為」を事実と認定し、「鬼畜のような性格」とを持った行為として断罪している。また、BC級戦犯の刑事上の責任は追及すべきと主張している。そしてA級戦犯についても、これらの残虐行為を指示したり、事件拡大の防止を怠ったという証拠は確認できないとして、平和や人道に対する刑事上の罪こそ適用できないものの、道義的な戦争責任からは逃れられないと述べている。つまり、日本の植民地政策を正当化したり、大東亜戦争を肯定する主張など一切していないのである。彼の歴史観によれば、日本は欧米列強の悪しき模倣者であって、その道義的責任は原爆を投下した連合国にも日本にも存在すると見ている。

では、いったいなぜパール判事が東京裁判の無効や大東亜戦争賛美のベクトルで名前が挙がるようになったのであろうか。戦前・戦時中に松井石根(A級戦犯として死刑)の私設秘書としてアジア解放運動に従事した田中正明氏の存在がある。1963年に、田中氏はパール判決書を意図的に割愛したり、誤訳したりした『パール博士の日本無罪論』を出版している。この「無罪」という言葉が意図的、無意図的一人歩きをし、「パールは戦前の日本の行為はすべて問題がなかったと主張している」と誤読されるケースが後をたたない。あくまでパール判事はA級戦犯の国際法上の責任までは追及できないとしただけであって、法律論に基づき、厳正に処罰すべきだと繰り返し主張されているのである。