仕事の関係で、丸山真男『日本の思想』(岩波新書 1961)の中の「『である』ことと『する』こと」を10年ぶりに読み返す。
未だに教科書に採録されている「安定教材」であるが、教科書に載る段階で削除された原文の内容が興味深かった。桐原書店の教科書を読むと日本人の思想の変遷に関する全くの評論文になっているのだが、原文には当時の勤評闘争や国体護持勢力批判、公務員の政治活動の制限に対する見解など生の政治に参加することの意義が切々と語られている。
民主主義とはもともと政治を特定身分の独占から広く市民にまで解放する運動として発達したものなのです。そして、民主主義を担う市民の大部分は日常生活では政治以外の職業に従事しているのです。とすれば、民主主義はやや逆説的な表現になりますが、非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によって始めて支えられるといっても過言ではないのです
以上のように丸山氏は述べるのだが、彼が「本来制度の自己目的化ー物心化ー」を不断に警告するように指摘する。日本人は「民主主義」や「自由市場経済」や「マルクス主義」といった本来人間が生き生きと生きられる一つの制度に過ぎないものを、神のようにありがたがる傾向がある。そして卑弥呼時代の巫女同様に「民主主義」などの題目を説く一部の人間に情実で支配されていくという傾向は過去2000年変わらない。